大峯奥駈道へ
2016-05-05
個人山行 はむくん
大峯奥駈道に行ってきました。少し長いレポートですがお付き合いください。
何かで「山の力の一つに長期山行の経験が必要」というのを読んだことがあります。それだからというわけではありませんが7日間の休みが取れたので5泊6日の奥駈道を計画しました。
どこで泊まるか、水はどこで補給できるか、昭文社の「山と高原地図」を穴の開くほど見て、いろんな人のブログも参考に、こんな時はどうする、こうするといろいろとシュミレーションをしました。理想では一泊目小笹宿、二泊目楊子ケ宿小屋、三泊目持経ノ宿あたりです。そうすれば難所と思われる、七曜岳あたりの下り、釈迦ヶ岳の上り、笠捨山・地蔵岳あたりが午前中の元気なうちに通過できます。しかし昭文社のコースタイムをずっと切り続けるかわかりません。行けたら4泊5日で行きたいが、5泊6日の用意をして、「宿泊は行けるところまで行く」と決めました。荷物の軽量化も大切です。日帰りや一泊程度なら適当に念の為にと少々重くても持って行っていましたし、冬山は軽量化も大切ですが、防寒というか安全が絶対優先です。私にとっては今回はじめて「何を持って行って何を置いていくか」を突き詰めて(自分なり)考えました。そんなことをしていて「長期山行の経験の一つはこの準備を突き詰めることかなあ」と気づきました。結局、ベース9,5㎏(ザック、宿泊用具、コッヘル等)食料4㎏(6日分+非常食)、水約2リットル(4リットル分の水筒)の16㎏弱でスタートしました。
一日目(4月29日)寒さとの戦い
吉野(8:30)・・・二蔵宿小屋(12:30)・・・五番関(14:00)・・・山上ヶ岳(16:30)・・・小笹宿(17:10)
ワクワクと不安の入り混じった気持ちでスタート。熊野を目指すと思われるでかいザックの人もちらほら。ゆっくりゆっくり靴ずれに気をつけながら舗装道歩きが続きます。山道になり四寸岩山をコースタイムよりかなり早めに通過、そして水場のある二蔵宿小屋に昼過ぎに到着。一泊目は五番関か今宿跡あたりかなと思っていましたが「これは小笹宿まで行ける」と判断し、飲み水だけを補給して山上ヶ岳へ向かいました。山頂には霧氷。いやー寒い。午後5時過ぎに小笹宿に到着。ツエルトを設営しあとは一晩寒さを耐えるのみです。30日朝が相当冷え込むとの予報だったので、軽量しながらも持ってきていた防寒着をすべて着込んで寝ましたがそれでも寒かったです。ものすごい風は地形的に防がれ直撃はなかったですが木の上のほうが一晩中ゴーゴー唸っていました。ウトウトはしましたが文字通り一睡もできませんでした。
寒い、霧氷
うーん、なんか山屋っぽい(笑)
二日目(4月30日)ゆっくり
小笹宿(6:00)・・・行者還小屋(10:00)・・・弥山(14:00)・・・楊子ケ宿小屋(17:30)
寝不足もあまり感じず、とにかく慎重に歩きました。七曜岳からの険しい下りはゆっくりゆっくり進みました。弥山に近づくと日帰りの登山客が沢山で、ちょうど彼らの下りと時間が重なりすれ違いなどでペースが乱れました。しかも最後の方は階段です。やはり弥山は大きな山でしんどかったです。山頂に午後二時頃着き、これからもうひと踏ん張りするか考えどころです。暑くなって来ており、プシュと小屋でビールを買ってテントを張る人も。私は次の小屋までいけるだろうとコーラにして出発しました。昨夜のツエルト泊が猛烈に寒かったので今日はなんとしても建物の中で寝たかったのです。崩れかかった箇所も通過しながら楊子ケ宿小屋に到着。二日目はひとことで言うと「慎重」でしょうか。とにかくゆっくり動くことを心がけました。小屋は2階建てで2階部分を3名で使いましたが他の二人の方も常識的な人たちで楽しかったです。ゆっくり眠ることができました。
三日目(5月1日)内面への道
楊子ケ宿小屋(6:00)・・・釈迦ヶ岳(9:00)・・・太古の辻(11:00)・・・涅槃岳(14:30)・・・持経ノ宿(16:00)
昨年池郷川に行った時に今日の後半部分は歩いたのでちょっと安心です。きついのはわかっていましたが午前中の釈迦さえ超えれば気が楽です。休息もとれたのでゆっくりスタートです。釈迦ヶ岳は初めてだったのですが急登に苦しみました。次は前鬼川を詰めあげてこの道から下山したいものです・・・ということはこの急登をもう一回するのでしょうか。きつー。千丈平のかくし水に寄ってから深仙小屋までトラバースしようと思ったところ、どうもトラバースの道がよくわかりません。ちょっと進んだところで滑りそうな斜面を不安なまま突破するより戻ろうと水場まで引き返し、奥駈道まで登り返しました。たいてい「登り返し」というのはしんどいのですが、そこはアップダウの繰り返しが延々と続く奥駈道、少々の登り返しなどへっちゃらです。やはり道に戻ると安心です。太古ノ辻を過ぎさあ南奥駈の始まりです。昨年通ったといえやはり長い長いアップダウンです。特に下りはケガをしたら大変なので気を使います。だんだん何か上りの方が楽になってきました。「よっしゃー上りや1、2、1、2、右、左、右、左」釈迦ヶ岳から6時間以上ほとんどしゃべることもなく自己との対話です。(あー去年の池郷たのしかったなあ・・・みんな今どうしてるかな・・・)修行をしにきたわけではありませんがただひたすら歩き続ける、そうしているうちに家族や仲間のことをいろいろ思い出しました。この「思い出す」ということが「自分という存在」なのではないか、4月の初め仕事でしんどいこともあったのですが「それがどうしたのいうのだ」なんかちっさいことにくよくよしていた自分に気付かされました。無我の境地でもなく、デカルトではありませんが「我思い出す、故に我あり」です。自分には思い出す家族、仲間、友人がいる。人と人とのつながりを強く感じながらとてもすがすがしく持経ノ宿に到着しました。午後4時で一番乗りでした。吉野を同じ日に出発し、歩くペースがだいたい同じでなんとなく道中何度も顔を合わせていた人たちも続々と到着してきました。「いやー『山と高原地図』もいよいよ裏面に突入やね」とこれまでの健闘をたたえ合い、「ここまできたらあとは1泊2日でいけるな」と気合を入れ直しました。ここは新宮山彦ぐるーぷさんの管理する山小屋で維持管理費として2000円以上が必要ですが毛布もありとても快適に寝ることができました。
4日目(5月2日)途中下山
持経ノ宿(5:00)・・・行仙岳(8:00)・・・行仙宿山小屋(8:40)・・・笠捨山(11:30)・・・葛川辻(12:10)・・・上葛川(14:30)
疲れはありますが心配していた足のマメや靴ずれ筋肉痛もなく、さあ玉置山すぎまで行けるかな。天気も快晴、ゆっくりじっくり進みます。ところが何かすごい汗。水はたっぷり担いでいてこまめにとっているのですが何か変です。立派な行仙宿山小屋で休憩しさあ笠捨山の登りです。やはり何か変です。気持ち悪くなって来ました。「危ないな、これは熱中症かな」木かげを見つけ二度三度と横になりながら歩き続けましたが、水を体が受け付けていないと感じ、熱中症がひどくなる前に下山することにしました。もともと胃腸は強くない方ですが、足の心配ばかりしていて、内臓が悲鳴を上げたという感じです。氷点下から30度までの気温の変化に体がついていきませんでした。笠捨山の山頂直下まで来ていましたが、さて下山するとなればどっちから降りようか。行仙宿山小屋から浦向に降りるか、葛川辻から上葛川に降りて十津川方面に出るか?十津川方面に降りたほうが大阪へのバス便が多そうなので、うまく行けば今日中に大阪に戻れるかなと、こちらに決めました。
今回のゴールの笠捨山
葛川辻からのトラバース道も結構いやなところがあり、余力を持っての下山で良かったです。途中、沢を何度か渡りましたがそのたびに頭に水を被り、体を冷やすことができたので、熱中症がひどくならなかったのだと思います。やっと下山しコミュニティバスで十津川村役場までたどり着いたのですが、五条行きの最終が出たところでした。食料、ツエルトはあるので野宿しようかなとも思ったのですが、まだ気分がかなり悪かったので飛び込みで宿をとることにし、なんとか成功して温泉でゆっくり出来ました。アルコールも体がまだ欲せずに、ひたすらスポーツドリンクやジュースを飲んで食事をして8時には寝ることができました。あとは次の日の朝のバスに乗るだけと思っていたのですが、夜中に目が覚めて、下山した時考えもしなかったのですが、「また登り返したら行けるんちゃう?」という思いがむくむくと湧き上がってきました。テレビを見ていたら、3日は強風だが雨はそれほどでもないようですし、体調の方もちょっとは回復してきました。この辺までまた来るのは大変なので、明日上葛川まで戻り玉置山を登るというのはいいのじゃないか。ただ「軽い熱中症になったみたいなので途中で下山した」と妻に連絡した際にいろいろ心配してくれたことを思い「ちょっと元気になったみたいなのでまた行くわ」と言い出せません。「この『また行きたい』という思いは何なんだろう、『途中下山がいや』という自分のエゴか、昨日感じたちっぽけなことにイジイジしないすがすがしい気持ち、あらゆることに感謝の気持ちというのはどこにいったのかな」などなど悶々としていました。笠捨山から降りる判断をした時には全く迷いはなかったのですが、この晩はこの旅で一番悩みました。そうしていたら、ドラマみたいなのですが夜中の2時に妻から翌朝のバスや電車の乗り継ぎ案内のメールが届きました。今回の奥駈道の旅が終わった瞬間でした。
いやー奥駈道、いいですね、また行きたいです。とりあえず行けなかった南の方、上葛川口から玉置山を登るか、池原の浦向から行仙宿山小屋に行くか、どちらにしても熊野本宮大社まで行きまっせ。また、沢を登りつめて奥駈道へということもしてみたい。ほんともう今は次のルートを考えワクワクしています。
脚力の方はふれんずのトレーニングとスマイルさんに指導されたスクワット運動などでなんとかなると自信が着きました。あとは食料というか栄養の取り方の研究ですね。自分にあった行動食、水分の取り方を見つけていきたいです。
修行の道は険しいのじゃ。ありがとうございました。
大峯奥駈道に行ってきました。少し長いレポートですがお付き合いください。
何かで「山の力の一つに長期山行の経験が必要」というのを読んだことがあります。それだからというわけではありませんが7日間の休みが取れたので5泊6日の奥駈道を計画しました。
どこで泊まるか、水はどこで補給できるか、昭文社の「山と高原地図」を穴の開くほど見て、いろんな人のブログも参考に、こんな時はどうする、こうするといろいろとシュミレーションをしました。理想では一泊目小笹宿、二泊目楊子ケ宿小屋、三泊目持経ノ宿あたりです。そうすれば難所と思われる、七曜岳あたりの下り、釈迦ヶ岳の上り、笠捨山・地蔵岳あたりが午前中の元気なうちに通過できます。しかし昭文社のコースタイムをずっと切り続けるかわかりません。行けたら4泊5日で行きたいが、5泊6日の用意をして、「宿泊は行けるところまで行く」と決めました。荷物の軽量化も大切です。日帰りや一泊程度なら適当に念の為にと少々重くても持って行っていましたし、冬山は軽量化も大切ですが、防寒というか安全が絶対優先です。私にとっては今回はじめて「何を持って行って何を置いていくか」を突き詰めて(自分なり)考えました。そんなことをしていて「長期山行の経験の一つはこの準備を突き詰めることかなあ」と気づきました。結局、ベース9,5㎏(ザック、宿泊用具、コッヘル等)食料4㎏(6日分+非常食)、水約2リットル(4リットル分の水筒)の16㎏弱でスタートしました。
一日目(4月29日)寒さとの戦い
吉野(8:30)・・・二蔵宿小屋(12:30)・・・五番関(14:00)・・・山上ヶ岳(16:30)・・・小笹宿(17:10)
ワクワクと不安の入り混じった気持ちでスタート。熊野を目指すと思われるでかいザックの人もちらほら。ゆっくりゆっくり靴ずれに気をつけながら舗装道歩きが続きます。山道になり四寸岩山をコースタイムよりかなり早めに通過、そして水場のある二蔵宿小屋に昼過ぎに到着。一泊目は五番関か今宿跡あたりかなと思っていましたが「これは小笹宿まで行ける」と判断し、飲み水だけを補給して山上ヶ岳へ向かいました。山頂には霧氷。いやー寒い。午後5時過ぎに小笹宿に到着。ツエルトを設営しあとは一晩寒さを耐えるのみです。30日朝が相当冷え込むとの予報だったので、軽量しながらも持ってきていた防寒着をすべて着込んで寝ましたがそれでも寒かったです。ものすごい風は地形的に防がれ直撃はなかったですが木の上のほうが一晩中ゴーゴー唸っていました。ウトウトはしましたが文字通り一睡もできませんでした。
寒い、霧氷
うーん、なんか山屋っぽい(笑)
二日目(4月30日)ゆっくり
小笹宿(6:00)・・・行者還小屋(10:00)・・・弥山(14:00)・・・楊子ケ宿小屋(17:30)
寝不足もあまり感じず、とにかく慎重に歩きました。七曜岳からの険しい下りはゆっくりゆっくり進みました。弥山に近づくと日帰りの登山客が沢山で、ちょうど彼らの下りと時間が重なりすれ違いなどでペースが乱れました。しかも最後の方は階段です。やはり弥山は大きな山でしんどかったです。山頂に午後二時頃着き、これからもうひと踏ん張りするか考えどころです。暑くなって来ており、プシュと小屋でビールを買ってテントを張る人も。私は次の小屋までいけるだろうとコーラにして出発しました。昨夜のツエルト泊が猛烈に寒かったので今日はなんとしても建物の中で寝たかったのです。崩れかかった箇所も通過しながら楊子ケ宿小屋に到着。二日目はひとことで言うと「慎重」でしょうか。とにかくゆっくり動くことを心がけました。小屋は2階建てで2階部分を3名で使いましたが他の二人の方も常識的な人たちで楽しかったです。ゆっくり眠ることができました。
三日目(5月1日)内面への道
楊子ケ宿小屋(6:00)・・・釈迦ヶ岳(9:00)・・・太古の辻(11:00)・・・涅槃岳(14:30)・・・持経ノ宿(16:00)
昨年池郷川に行った時に今日の後半部分は歩いたのでちょっと安心です。きついのはわかっていましたが午前中の釈迦さえ超えれば気が楽です。休息もとれたのでゆっくりスタートです。釈迦ヶ岳は初めてだったのですが急登に苦しみました。次は前鬼川を詰めあげてこの道から下山したいものです・・・ということはこの急登をもう一回するのでしょうか。きつー。千丈平のかくし水に寄ってから深仙小屋までトラバースしようと思ったところ、どうもトラバースの道がよくわかりません。ちょっと進んだところで滑りそうな斜面を不安なまま突破するより戻ろうと水場まで引き返し、奥駈道まで登り返しました。たいてい「登り返し」というのはしんどいのですが、そこはアップダウの繰り返しが延々と続く奥駈道、少々の登り返しなどへっちゃらです。やはり道に戻ると安心です。太古ノ辻を過ぎさあ南奥駈の始まりです。昨年通ったといえやはり長い長いアップダウンです。特に下りはケガをしたら大変なので気を使います。だんだん何か上りの方が楽になってきました。「よっしゃー上りや1、2、1、2、右、左、右、左」釈迦ヶ岳から6時間以上ほとんどしゃべることもなく自己との対話です。(あー去年の池郷たのしかったなあ・・・みんな今どうしてるかな・・・)修行をしにきたわけではありませんがただひたすら歩き続ける、そうしているうちに家族や仲間のことをいろいろ思い出しました。この「思い出す」ということが「自分という存在」なのではないか、4月の初め仕事でしんどいこともあったのですが「それがどうしたのいうのだ」なんかちっさいことにくよくよしていた自分に気付かされました。無我の境地でもなく、デカルトではありませんが「我思い出す、故に我あり」です。自分には思い出す家族、仲間、友人がいる。人と人とのつながりを強く感じながらとてもすがすがしく持経ノ宿に到着しました。午後4時で一番乗りでした。吉野を同じ日に出発し、歩くペースがだいたい同じでなんとなく道中何度も顔を合わせていた人たちも続々と到着してきました。「いやー『山と高原地図』もいよいよ裏面に突入やね」とこれまでの健闘をたたえ合い、「ここまできたらあとは1泊2日でいけるな」と気合を入れ直しました。ここは新宮山彦ぐるーぷさんの管理する山小屋で維持管理費として2000円以上が必要ですが毛布もありとても快適に寝ることができました。
4日目(5月2日)途中下山
持経ノ宿(5:00)・・・行仙岳(8:00)・・・行仙宿山小屋(8:40)・・・笠捨山(11:30)・・・葛川辻(12:10)・・・上葛川(14:30)
疲れはありますが心配していた足のマメや靴ずれ筋肉痛もなく、さあ玉置山すぎまで行けるかな。天気も快晴、ゆっくりじっくり進みます。ところが何かすごい汗。水はたっぷり担いでいてこまめにとっているのですが何か変です。立派な行仙宿山小屋で休憩しさあ笠捨山の登りです。やはり何か変です。気持ち悪くなって来ました。「危ないな、これは熱中症かな」木かげを見つけ二度三度と横になりながら歩き続けましたが、水を体が受け付けていないと感じ、熱中症がひどくなる前に下山することにしました。もともと胃腸は強くない方ですが、足の心配ばかりしていて、内臓が悲鳴を上げたという感じです。氷点下から30度までの気温の変化に体がついていきませんでした。笠捨山の山頂直下まで来ていましたが、さて下山するとなればどっちから降りようか。行仙宿山小屋から浦向に降りるか、葛川辻から上葛川に降りて十津川方面に出るか?十津川方面に降りたほうが大阪へのバス便が多そうなので、うまく行けば今日中に大阪に戻れるかなと、こちらに決めました。
今回のゴールの笠捨山
葛川辻からのトラバース道も結構いやなところがあり、余力を持っての下山で良かったです。途中、沢を何度か渡りましたがそのたびに頭に水を被り、体を冷やすことができたので、熱中症がひどくならなかったのだと思います。やっと下山しコミュニティバスで十津川村役場までたどり着いたのですが、五条行きの最終が出たところでした。食料、ツエルトはあるので野宿しようかなとも思ったのですが、まだ気分がかなり悪かったので飛び込みで宿をとることにし、なんとか成功して温泉でゆっくり出来ました。アルコールも体がまだ欲せずに、ひたすらスポーツドリンクやジュースを飲んで食事をして8時には寝ることができました。あとは次の日の朝のバスに乗るだけと思っていたのですが、夜中に目が覚めて、下山した時考えもしなかったのですが、「また登り返したら行けるんちゃう?」という思いがむくむくと湧き上がってきました。テレビを見ていたら、3日は強風だが雨はそれほどでもないようですし、体調の方もちょっとは回復してきました。この辺までまた来るのは大変なので、明日上葛川まで戻り玉置山を登るというのはいいのじゃないか。ただ「軽い熱中症になったみたいなので途中で下山した」と妻に連絡した際にいろいろ心配してくれたことを思い「ちょっと元気になったみたいなのでまた行くわ」と言い出せません。「この『また行きたい』という思いは何なんだろう、『途中下山がいや』という自分のエゴか、昨日感じたちっぽけなことにイジイジしないすがすがしい気持ち、あらゆることに感謝の気持ちというのはどこにいったのかな」などなど悶々としていました。笠捨山から降りる判断をした時には全く迷いはなかったのですが、この晩はこの旅で一番悩みました。そうしていたら、ドラマみたいなのですが夜中の2時に妻から翌朝のバスや電車の乗り継ぎ案内のメールが届きました。今回の奥駈道の旅が終わった瞬間でした。
いやー奥駈道、いいですね、また行きたいです。とりあえず行けなかった南の方、上葛川口から玉置山を登るか、池原の浦向から行仙宿山小屋に行くか、どちらにしても熊野本宮大社まで行きまっせ。また、沢を登りつめて奥駈道へということもしてみたい。ほんともう今は次のルートを考えワクワクしています。
脚力の方はふれんずのトレーニングとスマイルさんに指導されたスクワット運動などでなんとかなると自信が着きました。あとは食料というか栄養の取り方の研究ですね。自分にあった行動食、水分の取り方を見つけていきたいです。
修行の道は険しいのじゃ。ありがとうございました。