主な活動場所
2020年現在は黙々作業する会(黙々会)や交流会、オフ会は東京都をベースに行っています。
参加するイベントはコミケ、コミティア、文学フリマ。
万年筆関連なら泉筆五宝展やペントレ等にお邪魔します。
2020年現在は黙々作業する会(黙々会)や交流会、オフ会は東京都をベースに行っています。
参加するイベントはコミケ、コミティア、文学フリマ。
万年筆関連なら泉筆五宝展やペントレ等にお邪魔します。
ウマ娘をプレイしていて考察(妄想)してしまったこと
2021-03-12
時速70km程度で走行が可能。
自分で思考、判断ができる個人。
車両と違い悪路の走破性あり。
聴覚に優れる。
古来から人類とともに暮らしていた(明確な人類との線引き)
ウマ娘と呼ばれる種はきっと戦略物資としてめたくそに使われてきたと思うんですよね←
斥候にしても強襲軍にしても輜重隊にしても凄まじく有用だと思われるんですよね。
弾丸飛び交う中伝令に走ったり、暗闇の中耳だけを頼りに単身敵情視察したり。
時にはウマ娘の方が明確に有用だからと人類の方を犠牲にしてウマ娘を生かす選択をする場面もあっただろうし、人類よりも多くの糧食を消費するために冷めた目で見られたりすることもあったかもしれない。
凄まじいことですよね、自分のその両肩にいくつの命背負ってるのかとか、その走行の先でいくつの命を、と思うと。
その凄まじいフィジカルに自意識があって、思考判断ができるとあれば人類はどれほどの拘束をしようとするか。
時代を経て航空戦が主流になってきてようやく相対的にウマ娘の重要性が下がり、(それでも時速70kmで敵拠点に肉薄して爆弾でも投げ込むとかすれば凄まじいことになりそうだけども)、ウマ娘が「日常生活」を考える時代がやってくる。
戦場での活躍を知る世代からすれば日常に於いては畏怖の象徴でもあろうし、隣人がウマ娘であるということは受け入れがたかったかもしれない。
そうした人々から教えを受けて育った世代もいわんやウマ娘に恐れを抱くこともあろう。
しかしながらウマ娘とて思考判断する個人である。
不当な扱いを種全体として受け続ければ堪えきれぬ時もときとしてあったろう。
そのときマスメディアはどのように報道するか。
一部のカリスマや革新派の登場により少しずつウマ娘も穏やかな日々を手にしていくが、それでも世間全体の認識を払しょくするには足りず、日常生活を送る中で無意識的な、あるいは人目を忍んだ差別は常に行われる。
「決して反撃をしてはいけない。その足は容易く人を殺すから」と教育を受けてきたウマ娘たちは一部の不心得者達からすれば格好の獲物である。
水面下に行われる差別に抗すべく、ついに開拓した筋道こそが「プリティダービー」だったのだ。
ウマ娘のフィジカルを見世物としてエンターテインメント化して、レース後にはライブを行いアイドル化する。
表舞台での活躍の機会を得させしめ、ファンの育成を促し、従来型のウマ娘に対する「恐怖」を払拭していく施策である。
当初はふしだらであるとか性を売り物にしているとの批判も相次いだが、地位向上に一致団結したウマ娘らは不祥事や事件も起こさぬよう徹底し、競馬場には飲食店や子供の遊び場なども誂え、清潔で安全な環境づくりに邁進する。
あらゆる団体や関係者の尽力がなければこれらの成果は得られなかったのは間違いない。しかしながら他ならぬ競争ウマ娘らの一生懸命に走り、努力し、勝てば大いに喜び負ければ悔しさに涙を流す光景が人々のウマ娘への偏見の目を和らげていった。
一方で「アイドル化」の路線から外れてしまったウマ娘たちの悲哀深く、ウマ娘に生まれたからにはレースに出るのでしょうという世間からの偏見は強く、職業選択においてもガラスの天井は依然として健在であった。
そうした経緯を踏まえてみるとゲーム本編で「全てのウマ娘の幸福と夢のために」と獅子奮迅の努力を重ねるシンボリルドルフのあり方というのは、単にストイックかつ理想家のウマ娘という見方から、視野を広く常に危機感を持ったウマ娘として様相を変えることとなる。
オマケ
この妄想をしながら聿竹が思い出したこと
三国志の鈴甘寧、関羽の千里行
映画『1917命をかけた伝令』
ガンジー
南北戦争
肩タックル男
エースコンバット7
性風俗と興行の関係
エグザイルの不祥事のなさ
JRAの最近の取り組み
自分で思考、判断ができる個人。
車両と違い悪路の走破性あり。
聴覚に優れる。
古来から人類とともに暮らしていた(明確な人類との線引き)
ウマ娘と呼ばれる種はきっと戦略物資としてめたくそに使われてきたと思うんですよね←
斥候にしても強襲軍にしても輜重隊にしても凄まじく有用だと思われるんですよね。
弾丸飛び交う中伝令に走ったり、暗闇の中耳だけを頼りに単身敵情視察したり。
時にはウマ娘の方が明確に有用だからと人類の方を犠牲にしてウマ娘を生かす選択をする場面もあっただろうし、人類よりも多くの糧食を消費するために冷めた目で見られたりすることもあったかもしれない。
凄まじいことですよね、自分のその両肩にいくつの命背負ってるのかとか、その走行の先でいくつの命を、と思うと。
その凄まじいフィジカルに自意識があって、思考判断ができるとあれば人類はどれほどの拘束をしようとするか。
時代を経て航空戦が主流になってきてようやく相対的にウマ娘の重要性が下がり、(それでも時速70kmで敵拠点に肉薄して爆弾でも投げ込むとかすれば凄まじいことになりそうだけども)、ウマ娘が「日常生活」を考える時代がやってくる。
戦場での活躍を知る世代からすれば日常に於いては畏怖の象徴でもあろうし、隣人がウマ娘であるということは受け入れがたかったかもしれない。
そうした人々から教えを受けて育った世代もいわんやウマ娘に恐れを抱くこともあろう。
しかしながらウマ娘とて思考判断する個人である。
不当な扱いを種全体として受け続ければ堪えきれぬ時もときとしてあったろう。
そのときマスメディアはどのように報道するか。
一部のカリスマや革新派の登場により少しずつウマ娘も穏やかな日々を手にしていくが、それでも世間全体の認識を払しょくするには足りず、日常生活を送る中で無意識的な、あるいは人目を忍んだ差別は常に行われる。
「決して反撃をしてはいけない。その足は容易く人を殺すから」と教育を受けてきたウマ娘たちは一部の不心得者達からすれば格好の獲物である。
水面下に行われる差別に抗すべく、ついに開拓した筋道こそが「プリティダービー」だったのだ。
ウマ娘のフィジカルを見世物としてエンターテインメント化して、レース後にはライブを行いアイドル化する。
表舞台での活躍の機会を得させしめ、ファンの育成を促し、従来型のウマ娘に対する「恐怖」を払拭していく施策である。
当初はふしだらであるとか性を売り物にしているとの批判も相次いだが、地位向上に一致団結したウマ娘らは不祥事や事件も起こさぬよう徹底し、競馬場には飲食店や子供の遊び場なども誂え、清潔で安全な環境づくりに邁進する。
あらゆる団体や関係者の尽力がなければこれらの成果は得られなかったのは間違いない。しかしながら他ならぬ競争ウマ娘らの一生懸命に走り、努力し、勝てば大いに喜び負ければ悔しさに涙を流す光景が人々のウマ娘への偏見の目を和らげていった。
一方で「アイドル化」の路線から外れてしまったウマ娘たちの悲哀深く、ウマ娘に生まれたからにはレースに出るのでしょうという世間からの偏見は強く、職業選択においてもガラスの天井は依然として健在であった。
そうした経緯を踏まえてみるとゲーム本編で「全てのウマ娘の幸福と夢のために」と獅子奮迅の努力を重ねるシンボリルドルフのあり方というのは、単にストイックかつ理想家のウマ娘という見方から、視野を広く常に危機感を持ったウマ娘として様相を変えることとなる。
オマケ
この妄想をしながら聿竹が思い出したこと
三国志の鈴甘寧、関羽の千里行
映画『1917命をかけた伝令』
ガンジー
南北戦争
肩タックル男
エースコンバット7
性風俗と興行の関係
エグザイルの不祥事のなさ
JRAの最近の取り組み