肝クリアランスモデルの選択

2024-11-30
薬物動態において、モデル選択は常に付きまとう問題です。特に、肝クリアランスモデルについては、50年以上も議論が行われています。研究者同士の感情的な対立が垣間見れる論文も散見され、大変残念な状態です。
https://www.c-sqr.net/c/pcfj/reports/558136

しかし、モデル選択は、真/偽や善/悪の問題ではありません。そのことについて、以下、太陽系モデルを例にして、モデル選択について考えてみます。

科学におけるモデル選択問題は、近代科学の始まりそのものでした。
近代科学の始まりは、コペルニクスの地動説からニュートンの重力の発見に至るまでの科学革命であると言われています。科学革命の初期には、いくつかの異なる太陽系モデルが提案されていました。これらは、いずれも「一様な円運動(プラトンが提案した)」を前提として、それらを複雑に組み合わせたものになっています。

(1)プトレマイオスのモデル(天動説)
(2)コペルニクスのモデル(地動説)
(3)ティコ・ブラーエのモデル(太陽は地球の周りをまわり、他の惑星は太陽の周りをまわっている)

これらのモデルの中からどれを選ぶのか?というのが、当時、大きな問題でした。

当時、モデル選択に利用できるのは、惑星の位置の情報だけでした。しかし、目視による測定精度では、どれが正しいモデルなのかは選択できませんでした。どのモデルも同等に惑星の位置を予測できたのです。その後、ガリレオの望遠鏡による金星の満ち欠けや大きさの変化の観察や木星の衛星の発見が、地動説を支える重要な証拠となりました。さらに、ティコ・ブラーエの惑星の位置に関する精密なデータを基にして、ケプラーが楕円軌道を導入することで、惑星の位置がより正確に予測できるようになりました(ティコ・ブラーエの功績はもう少し正当に評価されるべきだと思います。)。最終的には、ニュートンの重力理論で、地動説が決定的なものになります。なお、ケプラーのモデルは、他の惑星からの影響を無視しているので近似ですし、ニュートンの重力理論も相対性理論の近似です。

ところで、もし、コペルニクスの時代に、太陽系の外から太陽系の写真を撮影出来ていたら、だれでも即座に地動説に気が付いたと思います。現在の科学では、モデル選択は、ターゲットとなる一つの測定値(例えば惑星の位置)だけで構築&検証されるのではなく、様々な知見と照らし合わせながら行われています。

なお、現代においても、ほとんどの人は日常生活で天動説を用いています。「いやいや、馬鹿にしないでください。地球が太陽の周りをまわっているのは常識ですよ。」と言われるかもしれません。しかし、普段我々は、「日が昇る」などと太陽が動くように表現していますし、夕方になれば、あと何分で日が沈むかを予測しています。よっぽど稀な人でない限りは、「あと何分で、地球が自転して、現在位置が太陽の反対方向に移動する」とは日常生活では考えないでしょう?実生活での有用性という意味からは、天動説もアリなのです。

さて、薬物動態のモデル選択についてです。

血中濃度推移データは、上記の惑星の位置に相当します。したがって、血中濃度推移データだけからでは肝クリアランスモデルを構築&選択することはできません(惑星の位置だけからはモデル選択できないのと一緒です)。一方で、薬物動態研究が始まった1960年代には、肝臓の解剖学は既に明らかになっていました(つまり、もともと太陽系の写真がありました。)。また、タンパク結合率についても知られていました。そこで、これらに基づいて、以下のモデルが提案されています。

肝臓の毛細血管内(_CPB)の薬物濃度分布モデル
Well stirred model (WSM_CPB)
Parallel tube model (PTM_CPB)
Dispersion model (DM_CPB)

さらに、毛細血管中の血液と細胞内液は、細胞膜で隔てられていることと、代謝酵素は細胞内にあることを考慮に入れることが出来ます。これがextended clearance model (concept)と呼ばれるものです。

教科書に載っているWSM(WSMclassic)は、(A)細胞膜透過がとても速く律速にならない、かつ、(B)トランスポータが影響しない場合に、細胞内非結合型薬物濃度(C_ICF_u)が毛細血管内非結合型薬物濃度(C_CPB_u)と等しいと近似できるというものです。WSMclassicについて、しばしば勘違いされているのが、WSMclassicでは肝臓内の血液と細胞内液が良く撹拌されて混ざっている(Well stirred)と仮定している、したがってWSMclassicはrealではない、というものです。WSMclassicの最初の論文を見れば明らかなとおり、これは完全な誤解です。最初の論文では、明らかに肝臓の解剖学が念頭に置かれており、そのうえで、WSMclassicの前提条件として、上記(A)(B)が明記されています。この前提条件を無視して、WSMclassicがrealではないと批判するのは筋違いです。現代の視点からは、まず先にECMを導出し、それに対して(A)(B)を適応してWSMclassicを導くというほうが自然に感じられますが、歴史的にはそうではありませんでした(残念ながら、薬物動態の論文や教科書では、式の導出が省かれている場合も多く、それが誤解の原因になっているように思います。物理や化学では、かならず式の導出を教えます。これは、式の導出自体が理解につながるからです。)。

また、WSM_CPB,PTM_CPB,DM_CPB、およびその他すべての現在提案されているモデルは、いずれも肝臓の解剖学に基づいた「近似」モデルです。いずれも「近似」であり、完全に”real”ではありません。なので、WSMをrealではないという2分論的な理由で批判するのは筋違いです。

もし、肝臓内における薬物濃度分布が正確に測定できれば、どのモデルが「よりrealか」という観点からモデルの選択が可能になると思われます。しかし、実際にそのようなデータは、ヒトにおいて得ることは現在の技術では不可能です。また、in vitro-in vivo extrapolation (IVIVE)の良しあしで(つまり天文学なら惑星の位置から)、モデル選択することも可能かもしれません。しかし、上記3モデルは、クリアランスが非常に高い領域を除いてほぼ同じ値になること、in vivoデータはバラツキが大きいことなどを考えると、現実的には不可能のようです。したがって、現在では、最もシンプルなWSM_CPBが、主に利用されています。これは科学においては一般的な手段で、単純な方が良いモデルある場合が多いことが経験的に知られています(オッカムの剃刀)。

繰り返しになりますが、モデルの構築や選択は、血中濃度推移だけから行われるのではありません。解剖学的知見、生理学的知見、in vitroのデータなども考えあわせて総合的に行われます。「血中濃度推移予測性による検証」だけを金科玉条のように考えるのは間違いです(臨床においてはそれが第一義であることは十分理解しています )。これまでの科学の歴史を振り返れば、モデルの構築と検証は、部分部分に分けて行う方が良いです(これを還元主義と言います。近代科学の成功は、還元主義が上手く機能したということです。)pH溶解度プロファイルをin vivoで検証する人は誰もいません。医薬品開発の歴史を振り返っても、あきらかに還元主義に従っています(例えば、ラットBA→Caco-2→PAMPA)。