そのMiddle-out approach、大丈夫ですか?(11)小腸溶液量

2024-06-06
先日の薬剤学会で、「小腸溶液(Vsi)約600 mLで臨床Fa実測値とシミュレーションが"合う"のであれば、そのVsi値は、見かけ上の値として、その薬物においてはOKなのではないか?」というご意見をいただきました。

一方で、現時点において、Vsiの最も信頼できる実測値は約100 mLであることは、以前のこのブログで説明しました。

https://www.c-sqr.net/c/pcfj/reports/535819

おそらく、上記のご意見の背景には、社内外で幅広く用いられている市販ソフトウェアにおいて約600 mLをがデフォルト値として用いられていることがあると思われます。とくに、これまでに、Vsi = 600 mLを用いて完璧に合う”予測”を学会や論文で発表したり、社内で発表した方々は、この値が間違っていたと後から認めることは出来ないでしょう。なぜなら、(たとえ過失であれ)データの捏造を疑われてしまう可能性があるからです(論文にBlack boxがある場合は、そう疑われても仕方が無いです。)。とくに、承認申請にこのデータが使われている場合、Vsi = 600 mLを主張し続けるでしょう。そして、Vsi = 600 mLを擁護するために、様々なAd hocな仮説を主張すると思います

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Ad hocな仮説としては、たとえば、消化管膜付近の結合水などがあげられらます(結合水は、拡散係数が違うのでMRI測定にかからない)。ただし、前のブログでも書きましたが、結合水を考慮しても130 mL程度が現時点では最良の推定値です。
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また、社内での人間関係を重視するのであれば、社内で議論を行うことは難しいでしょう。ならば、多少は目をつぶって、「小腸溶液(Vsi)約600 mLで臨床Fa実測値と"合う"のであれば、そのVsi値は、その薬物に対する見かけ上の値として、OKなのではないか?」、と丸く収めたいと思うのも無理のないことです。

以下では、実際の生理学的なVsiは100 mLであり、600 mLは間違いであるという前提でお話しします。(サイエンスである以上、100%確実とは言い切れませんので、このような表現にしています。)

まず、「臨床Fa実測値と合う」の意味を考えてみたいと思います。600 mLを用いても臨床Fa実測値と合う場合は、

(A) VsiがFaに影響を与えない(100 mLでもDose number < 1)
(B) 他のインプットデータのエラーが、偶然1/6ピッタリで、相殺される。
(C) パラメータフィッテイングしている(Peffのことが多い)。あるいは、CL/Fになっている。

などが考えられます。実際には、(B)の確立は極めて低いので、(A)と(C)が多いでしょう。

「その薬物においては、Vsi = 600 mLでOKなのではないか?」
はい、OKです。
ただし、OKなのは、その薬物について、原薬、製剤、投与条件、被験者群、がすべて同じ(あるいは、そう推定するのが妥当な)場合のみです(つまり内挿)。ところで、そもそも、同じ条件においては、すでに臨床Faデータの実測値が存在するので、わざわざ予測する必要があるのでしょうか???

実際、たとえば投与量や投与条件が異なれば、Fa予測は間違うでしょう。(A)の場合でも、小腸液中の濃度が600 mLのほうは1/6になるので消化管の薬物相互作用は、小さく見積もられるでしょう。これは、単に間違った生理学的パラメータが使い続けられるという問題だけではありません。患者に健康被害が及ぶ可能性もある大きな問題です。

なお、(B)(C)の場合、Vsiだけでなく、他のパラメータにも間違いがあることは指摘しておきます(フィッティングの場合、フィッテイング値は、正しい値の1/6になっている)。

また、「見かけ上の値」という考え方は、薬物動態速度論では、コンパートメントモデルとして、なじみ深いものです。イメージとしては、Vsiを分布容積(Vd)のようにとらえるということでしょうか?コンパートメントモデルでは、赤池情報量などを用いた手順で、適切な解析が行われております。なのでコンパートメントモデルは大丈夫です。また、ある条件下で得られたコンパートメントモデルのパラメータを無条件に他の条件に適応する人は、まともな薬物動態研究者であれば、誰もいないでしょう。
しかし、「見かけ上の値」と言う考えはPBPKには適応できません。なぜなら、Physiologicall-basedだからです(見かけ上の値ではなく、生理学に基づく値を用いるのがPBPKです。)。そして、Physiologicall-basedでなければ他の条件に「外挿」できないのです。まさに、これがPBPKという技術が求めらる理由でもあります。

繰り返しになりますが、そもそも、パラメータフィッテイングが必要なのは、Bottom-up予測が外れた場合であり、すなわち、PBPKモデルのどこかが間違っている場合です。その間違いを放置したまま、外挿予測することは出来ないです。(なお、DDI予測では、間違い部分が合っても、その部分が相殺されるような方法でfmを求めています。したがってAUC比の予測は、PBPKでなくてもできます(かなりしっかりと予測性が検証されています)。詳しくはこれまでのブログをご覧ください。)

ちなみに、私が以前勤めていた会社(の製剤部門)では、市販ソフトウェアを用いる場合であってもデフォルト値(約600 mL)は使用せず、100 mLに近い値を使っていました(いくつか論文が出ているので検索すれば分かると思います。)。また、GUT frameworkは、現在ヒト130 mL (イヌ:18.6 ml/kg)を使用していますが、数百の臨床Fa データやin vivo Faデータで検証されています。