クリアランス論争
2022-07-05
最近、薬物動態分野において、クリアランスの定義に関する論争が起きています。
https://ascpt.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/cpt.2482
https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.jmedchem.0c01930
https://ascpt.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cpt.2525
https://ascpt.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cpt.2482
https://link.springer.com/article/10.1208/s12248-021-00591-z
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0006295219302801
https://dmd.aspetjournals.org/content/50/2/187.abstract
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0928098722000197
https://link.springer.com/article/10.1208/s12248-021-00656-z
大変著名な先生方の間での論争なので、このブログで是非紹介したいと思います。
クリアランスは、もともとは、工学の分野で用いられていた概念です。いまから50年以上前、薬物動態に持ち込まれました。
その後、50年間使われ続けてきています。ではなぜ?いまさら、クリアランスの定義について議論が行われているのでしょうか?
ここでは、両陣営の主張を追っていきたいと思います。
------------------------------------------------
<クリアランスの定義>
もともと、薬物動態分野において、クリアランス(CL)は以下のように定義されました。
排泄速度 = CL x Cp(t) Eq.1
Cp(t)は各時点における血漿中濃度です。
体内からの薬物の排泄速度(elimination rate)は、毎時間当たり排泄される薬物量(X)です(dX/dt)。ここで排泄速度という名前を習慣的に用いていますが、代謝と排泄の両者を含みます。
また、話を簡単にするために、CLは薬物濃度に依存しない定数であるとします。
ここで、注意点は、CLが血漿中濃度に基づいて定義されていることです。血漿中濃度は、血漿タンパクに結合した薬物分子と結合していない薬物分子の合計濃度です。薬物動態においては、一般に観測される値(observable)は血漿中濃度ですので、血漿中濃度を基準として理論体系が構築されています(*)。
Eq.1の中で、Cpの値は実測で求まります。排泄速度が分からないので 、このままではCLを計算することができません。
そこで、なにか工夫をして、CLを計算することになります。これには、主に2つの方法があります。
1つめは、持続注入投与(ゼロ次の速度)を行い、定常状態濃度(Cp,ss)から計算する方法です。血漿中の薬物量が時間変化せず定常状態になっている場合、血漿中に入ってくる薬物量と血漿中から排泄される薬物量が等しくなっています。つまり、注入速度 = 排泄速度ですので、CLを計算できます。定常状態における血漿中薬物濃度をCp,ssとすると、
排泄速度 = 注入速度 = CL x Cp,ss Eq.2
CL = 注入速度/Cp,ss Eq.3
念のため次元を確認すると、
注入速度: amount / time (amountは、質量あるいはモル数)
Cp,ss: amount/ volume
なので、
CL: volume/timeになっております。
2つめは、Eq.1を積分する方法です。
左辺の排泄速度を全時間にわたり積分すると総排泄量になります。静脈内投与の場合、総排泄量=投与量になりますので、Eq.1 の左辺は投与量(Dose)になります。
一方、右辺のCp(t)の全時間にわたる積分は、AUCです。
したがって、Eq.1は
Dose = CL x AUC Eq.4
となりますので、
CL = Dose/AUC Eq.5
になります。
念のため次元を確認すると、
投与量: amount (amountは、質量あるいはモル数)
AUC: amount/ volume x time
なので、こちらも
CL: volume/timeになっております。
1つ目、2つ目の方法共に、CLの計算に、分布容積は必要ありません。CLは、Vdとは独立のパラメータであるので、独立に測定できます。
------------------------------------------------
ここまでは、両陣営ともに同じ考えです。
次に、薬物の代謝が肝臓でのみ起きる場合を考えます。(あとで述べますがこの時点で、モデル化しています。)
ここで、肝臓への血漿流量をQとし、
CL = Q x ER Eq.6
として、肝抽出率(extraction ratio, ER)を定義します。
ここで、両陣営の考え方が分かれているようです。
ERはモデル依存的な値(モデルが変われば値が変わる。)なのか、そうでないのか?です。
この点が問題になるのは、in vitro - in vivo extrapolation (IVIVE)においてです。一般に、IVIVEでは、in vivoで得られる値とin vitroの値に相関があるかを検討します。In vivoで得られる値が、モデル依存的なのであれば、どのようなモデルを仮定して計算するかでIVIVEの成否が分かれます。
PBPKにおいて、肝代謝のIVIVEは、まさに「肝中の肝」ですので、これは大きな問題というわけです。
論文の議論からは、IVIVEが上手く言っていないことが、この論争の大きな背景にあるようです(**)。
論文中では、ここから先、より詳細な議論になっていって、特に、Well- stirred modelと呼ばれる数理モデルが議論の対象になっています。
PBPKモデルの根幹の部分で、このような議論が行われていること、読者の皆様は、どのように感じられますでしょうか?
ところで、化学反応論の観点からは、実はEq.1の段階で、すでにモデル化が入っているのでは?と思います。つまり、「話を簡単にするためにの部分」で、1次反応としてモデル化しています。
また、Eq.6では、生理学的パラメータであるQが現れることからも明らかなように、当然、モデル化が入っています。肝臓に血流が入るというモデルです。比較として、薬物が血中で分解される場合を考えるとわかりやすいです。その場合、血流というパラメータが、CLの計算に入ってこないですよね?また、ERという概念も当てはまりません。
この論争が実を結び、薬物動態に関する我々の理解が、さらに深まると良いと思います。
* 観測値を中心に理論を構築するという考え方は、熱力学に似ています。熱力学自体は、分子の存在が知られる前に体系化されています。分子の存在を前提とする現代のパラダイムで育った化学者にとっては、熱力学はとてもとっつきにくいと思います。
同様に、化学系の方にとっては、Eq.1のクリアランスががフリー濃度(非結合型濃度)基準ではない点が、わかりにくいかもしれません。薬物分子の存在状態をひとまず無視しておいてクリアランスの計算することに、違和感を覚えるかもしれないです。化学系の方にとっては、分子状態を明確に意識した(Bottom-up)PBPK modelの考え方のほうが理解しやすいと思います。
** 物理化学においては、統計力学によって、ミクロな分子論から、マクロな熱力学が、定量的にしっかりと説明されます。一方、薬物動態においては、今のところ、「分子」薬物動態論から、マクロな薬物動態パラメータが定量的に説明できていないという課題があると言えます。
https://ascpt.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/cpt.2482
https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.jmedchem.0c01930
https://ascpt.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cpt.2525
https://ascpt.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/cpt.2482
https://link.springer.com/article/10.1208/s12248-021-00591-z
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0006295219302801
https://dmd.aspetjournals.org/content/50/2/187.abstract
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0928098722000197
https://link.springer.com/article/10.1208/s12248-021-00656-z
大変著名な先生方の間での論争なので、このブログで是非紹介したいと思います。
クリアランスは、もともとは、工学の分野で用いられていた概念です。いまから50年以上前、薬物動態に持ち込まれました。
その後、50年間使われ続けてきています。ではなぜ?いまさら、クリアランスの定義について議論が行われているのでしょうか?
ここでは、両陣営の主張を追っていきたいと思います。
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<クリアランスの定義>
もともと、薬物動態分野において、クリアランス(CL)は以下のように定義されました。
排泄速度 = CL x Cp(t) Eq.1
Cp(t)は各時点における血漿中濃度です。
体内からの薬物の排泄速度(elimination rate)は、毎時間当たり排泄される薬物量(X)です(dX/dt)。ここで排泄速度という名前を習慣的に用いていますが、代謝と排泄の両者を含みます。
また、話を簡単にするために、CLは薬物濃度に依存しない定数であるとします。
ここで、注意点は、CLが血漿中濃度に基づいて定義されていることです。血漿中濃度は、血漿タンパクに結合した薬物分子と結合していない薬物分子の合計濃度です。薬物動態においては、一般に観測される値(observable)は血漿中濃度ですので、血漿中濃度を基準として理論体系が構築されています(*)。
Eq.1の中で、Cpの値は実測で求まります。排泄速度が分からないので 、このままではCLを計算することができません。
そこで、なにか工夫をして、CLを計算することになります。これには、主に2つの方法があります。
1つめは、持続注入投与(ゼロ次の速度)を行い、定常状態濃度(Cp,ss)から計算する方法です。血漿中の薬物量が時間変化せず定常状態になっている場合、血漿中に入ってくる薬物量と血漿中から排泄される薬物量が等しくなっています。つまり、注入速度 = 排泄速度ですので、CLを計算できます。定常状態における血漿中薬物濃度をCp,ssとすると、
排泄速度 = 注入速度 = CL x Cp,ss Eq.2
CL = 注入速度/Cp,ss Eq.3
念のため次元を確認すると、
注入速度: amount / time (amountは、質量あるいはモル数)
Cp,ss: amount/ volume
なので、
CL: volume/timeになっております。
2つめは、Eq.1を積分する方法です。
左辺の排泄速度を全時間にわたり積分すると総排泄量になります。静脈内投与の場合、総排泄量=投与量になりますので、Eq.1 の左辺は投与量(Dose)になります。
一方、右辺のCp(t)の全時間にわたる積分は、AUCです。
したがって、Eq.1は
Dose = CL x AUC Eq.4
となりますので、
CL = Dose/AUC Eq.5
になります。
念のため次元を確認すると、
投与量: amount (amountは、質量あるいはモル数)
AUC: amount/ volume x time
なので、こちらも
CL: volume/timeになっております。
1つ目、2つ目の方法共に、CLの計算に、分布容積は必要ありません。CLは、Vdとは独立のパラメータであるので、独立に測定できます。
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ここまでは、両陣営ともに同じ考えです。
次に、薬物の代謝が肝臓でのみ起きる場合を考えます。(あとで述べますがこの時点で、モデル化しています。)
ここで、肝臓への血漿流量をQとし、
CL = Q x ER Eq.6
として、肝抽出率(extraction ratio, ER)を定義します。
ここで、両陣営の考え方が分かれているようです。
ERはモデル依存的な値(モデルが変われば値が変わる。)なのか、そうでないのか?です。
この点が問題になるのは、in vitro - in vivo extrapolation (IVIVE)においてです。一般に、IVIVEでは、in vivoで得られる値とin vitroの値に相関があるかを検討します。In vivoで得られる値が、モデル依存的なのであれば、どのようなモデルを仮定して計算するかでIVIVEの成否が分かれます。
PBPKにおいて、肝代謝のIVIVEは、まさに「肝中の肝」ですので、これは大きな問題というわけです。
論文の議論からは、IVIVEが上手く言っていないことが、この論争の大きな背景にあるようです(**)。
論文中では、ここから先、より詳細な議論になっていって、特に、Well- stirred modelと呼ばれる数理モデルが議論の対象になっています。
PBPKモデルの根幹の部分で、このような議論が行われていること、読者の皆様は、どのように感じられますでしょうか?
ところで、化学反応論の観点からは、実はEq.1の段階で、すでにモデル化が入っているのでは?と思います。つまり、「話を簡単にするためにの部分」で、1次反応としてモデル化しています。
また、Eq.6では、生理学的パラメータであるQが現れることからも明らかなように、当然、モデル化が入っています。肝臓に血流が入るというモデルです。比較として、薬物が血中で分解される場合を考えるとわかりやすいです。その場合、血流というパラメータが、CLの計算に入ってこないですよね?また、ERという概念も当てはまりません。
この論争が実を結び、薬物動態に関する我々の理解が、さらに深まると良いと思います。
* 観測値を中心に理論を構築するという考え方は、熱力学に似ています。熱力学自体は、分子の存在が知られる前に体系化されています。分子の存在を前提とする現代のパラダイムで育った化学者にとっては、熱力学はとてもとっつきにくいと思います。
同様に、化学系の方にとっては、Eq.1のクリアランスががフリー濃度(非結合型濃度)基準ではない点が、わかりにくいかもしれません。薬物分子の存在状態をひとまず無視しておいてクリアランスの計算することに、違和感を覚えるかもしれないです。化学系の方にとっては、分子状態を明確に意識した(Bottom-up)PBPK modelの考え方のほうが理解しやすいと思います。
** 物理化学においては、統計力学によって、ミクロな分子論から、マクロな熱力学が、定量的にしっかりと説明されます。一方、薬物動態においては、今のところ、「分子」薬物動態論から、マクロな薬物動態パラメータが定量的に説明できていないという課題があると言えます。