主な活動場所
大阪府周辺

 竹田節    出舞

2024-11-17
竹田節 歌:三橋美智也 作詞:米山愛紫 作曲:明本京静

1 甲斐の山々 陽に映えて
  われ出陣に うれいなし
  おのおの馬は 飼いたるや
  妻子(つまこ)につつが あらざるや
   あらざるや

2 祖霊(それい)まします この山河
  敵にふませて なるものか
  人は石垣 人は城
  情けは味方 仇は敵
   仇は敵

 *「疾(と)きこと風の如く
   徐(しず)かなること林の如し
   侵掠すること火の如く
   動かざること山のごとし」

3 躑躅ケ崎の 月さやか
  うたげを尽くせ 明日よりは
  おのおの京を めざしつつ
  雲と興(おこ)れや 武田武士
   武田武士

この歌の3番に出てくる躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)とは

戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地であった。
信虎・晴信(信玄)・勝頼の3代60年にわたって府中として機能し、後に城下町になりました。

【岐阜城】

石垣・天守閣で構成される、城が出来るのは戦国時代末期の岐阜城、安土桃山城あたりからです。それまでは、まだ土木・建築技術がありませんでした。

それまでは自然の山や川で周囲を防御していました。躑躅ケ崎城とは呼ばず躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)でした。

戦国時代になると堅牢な城を作ることが戦国大名の生き残る使命でした。

そこに現れたのが築城の名人と呼ばれた3人でした。
1.加藤清正
2.藤堂高虎
3.黒田官兵衛
この3人により、全国に次々と名城が築かれたのです。

【城下町】

城と共に城下町も栄えました。
城に大名や武士が2~3000人住んでいたとすると、その武士達の衣・食・住
を支えるため町人が集められました。
(呉服商人・塩商人・鍛冶職人・大工)
武家地・町人地・寺社地などにより城下町が構成され発展をとげてゆきました。

釈迦に説法や・・・のぼるさん助けて・・・

竹田節を今日は石原詢子さんでお聴き下さい。ここをクリック