名所江戸百景 №01
2021-02-06
名所江戸百景 1番
「八景坂鎧掛松」はっけいざかよろいかけまつ
人物画(花魁・役者絵)が売れたのは、私達が吉永小百合のプロマイド写真を買ったようなものです。
しかし、景色・風景画が売れるようになるには・・・それなりの理由ができたからです。参勤交代のため五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)が整備されました。20~30kmごとに宿場ができ、本陣、脇本陣、旅籠ができたのです。東海道は53次 すなわち53の宿場ができたのです。
しかし、一般庶民は在所を離れることを禁じられていました。江戸中期、世の中が平和になり、暮らしに余裕がでてくると・・・伊勢詣りや京都伏見稲荷等・・・信仰目的の旅行は幕府も大目に見たのです。
ここに江戸時代の一大観光ブームが来たのです。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」がベストセラーになったり、歌川広重の「東海道五十三次」が 旅行のガイドブックとして売れに売れたのです。
こうして・・・景色絵(名所)を描く画家が増えたのです。
「名所江戸百景」も江戸の観光地案内ガイドブックですね
「八景坂鎧掛松」
ここは江戸の南、現在の大田区大森駅付近。画面左手奥のねずみ色に塗られた集落は品川宿、さらに向こうに江戸の町並みが見える。
「みなさま~右前方をご覧下さい」「大きな松の木が見えますよね」
「源義家が奥州に向かう際、この松に鎧をかけた伝説から「鎧掛松」と呼ばれるようになりました。樹齢七・八百年の松の大樹です」 こんなバスガイドの声が聞こえてきそうな気がします。
「八景坂鎧掛松」はっけいざかよろいかけまつ
人物画(花魁・役者絵)が売れたのは、私達が吉永小百合のプロマイド写真を買ったようなものです。
しかし、景色・風景画が売れるようになるには・・・それなりの理由ができたからです。参勤交代のため五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)が整備されました。20~30kmごとに宿場ができ、本陣、脇本陣、旅籠ができたのです。東海道は53次 すなわち53の宿場ができたのです。
しかし、一般庶民は在所を離れることを禁じられていました。江戸中期、世の中が平和になり、暮らしに余裕がでてくると・・・伊勢詣りや京都伏見稲荷等・・・信仰目的の旅行は幕府も大目に見たのです。
ここに江戸時代の一大観光ブームが来たのです。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」がベストセラーになったり、歌川広重の「東海道五十三次」が 旅行のガイドブックとして売れに売れたのです。
こうして・・・景色絵(名所)を描く画家が増えたのです。
「名所江戸百景」も江戸の観光地案内ガイドブックですね
「八景坂鎧掛松」
ここは江戸の南、現在の大田区大森駅付近。画面左手奥のねずみ色に塗られた集落は品川宿、さらに向こうに江戸の町並みが見える。
「みなさま~右前方をご覧下さい」「大きな松の木が見えますよね」
「源義家が奥州に向かう際、この松に鎧をかけた伝説から「鎧掛松」と呼ばれるようになりました。樹齢七・八百年の松の大樹です」 こんなバスガイドの声が聞こえてきそうな気がします。