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 戊辰戦争と会津小鉄

2018-07-25
先日、浄土宗大本山 金戒光明寺 西雲院、橋本住職の講義・法話を聞きました。
この寺は戊辰戦争での会津藩と深い関わりがあります。
【西雲院 橋本住職】

1866~1867年 
この頃、京都の町には全国から浪人や脱藩者が集まり強盗や放火が日々繰り返えされていました。

孝明天皇は京都の治安を守るため会津藩主松平容保(まつだいらかたもち)に京都守護職を要請します。 そして黒谷の地に本陣を置きました。

あの新撰組も会津藩預かりとなり、京都の治安に努めました。

しかし、情勢が変わり、一夜にして会津藩は逆賊にされてしまいました。
「なんでやねん!」

政府軍(官軍)と一戦を交えますが、鳥羽伏見の戦いでボロボロにされます。

「会津の小鉄」は清水次郎長と同じ侠客でした。当時の侠客とは人足の元締めでした。大がかりな土木工事に際して、何百人もの作業員を集めるリクルーターだったのです。

会津藩が京都に入ると、その世話役として藩屋敷に住みこんんでいました。
鳥羽伏見の戦いでは軍夫として数百人の人夫を動員しました。

官軍に敗れた会津藩兵の死体が道端にゴロゴロ。官軍は「逆賊の死体に触れてはならぬ」と命じました。しかし・・・小鉄は「死体をそのままにしてはおけぬ」と身の危険を顧みず光明寺に運んだのです。

【鳥羽伏見の戦い戦死者慰霊碑】 京都金戒光明寺内


【会津小鉄の墓】 京都金戒光明寺内


義侠心にあふれた小鉄は京都で人気があり、その後、賭博で逮捕されましたが出獄祝いには白川の自宅に7000人が訪れたそうです。

ほんまかいな・・・白川の住人に真相を確かめたいね・・・
ごきげんよう