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 江戸の文化・風俗  銭湯編

2017-09-15
湯屋(ゆや)の歴史は6世紀に渡来した仏教に始まります。
仏教では沐浴の功徳を説き、汚れを洗うことは仏に仕える者の務めでした。

やがて大寺院では一般大衆に風呂を開放しました。

初期の銭湯は外観も寺院を真似ています。



江戸の自慢は上下水道が完備されていたことです(玉川上水・神田上水)
ただ、水は貴重で初期の風呂はサウナでした。



きれいな お姉さん(湯女・ユナ)が背中を流してくれました。

江戸は単身赴任者・独身者が多く、それ以外のサービスもあったようです。
明暦年間(17世紀中頃) 幕府は一斉取り締まりを強行・・・数百人の湯女を吉原に強制送還しました。



水が貴重だったことと、火事をおそれて、内風呂を持っている家はほとんどありませんでした。

19世紀前半(1800年頃)江戸市中には600軒を超える銭湯がありました。
ちなみに・・・江戸は湯屋(ゆや)、上方では風呂屋と呼んでいました。

 入浴料金は大人が8文、そば一杯の半額でした。フリーパスもあり、148文 多くの人は朝夕2回入ったそうです。

 営業時間はAM7時~PM8時

江戸町民は世界一衛生的だったと言われていました。

(江戸地は関東ローム(富士山の爆発で出来た灰の堆積物)で覆われており、風が吹くと土埃(つちぼこり)がひどかったそうです)