主な活動場所
大阪府周辺

 江戸の文化・風俗  吉原編

2017-09-13
幕府公認の遊郭は全国に3ケ所ありました。
島原(京都) 新町(大阪) 吉原(江戸)

家康は湿地帯で人の住めなかった江戸を日本一の都市にするため神田山を削り湿地帯を埋め立てました。関東一円から多くの土木作業員を集めました。武士も商人も職人も単身赴任。江戸の男女比は7:3となりました。このままでは性犯罪が多発すると危惧した幕府は江戸周辺の岡場所を1ケ所に集め公認したのが吉原遊郭でした。

吉原の大門(入口)

周囲を溝で囲み隔離された世界でした。
左に見えるのが「見返り柳」です。

遊郭のシステムは京都の島原を模していました(一見さんは遊べない)

遊郭内では身分の上下がなく、遊女たちに一番嫌われていたのが、金の無い野暮な武士でした。一方・・職人や商人が豪遊していたそうです。

吉原は社交場であり、新しい文化の発信地でもありました。
最新のヘアスタイル、ファッションは吉原から始まり、それを歌舞伎が取り入れ、音楽、ダンス(舞踊)各種芸能Etc・・・江戸の町娘達は先を競って取り入れました。

(吉原全盛の賑わい)


中学時代、樋口一葉の「たけくらべ」を読み、友人達と競って暗誦していました。

廻れば大門の見返り柳いと長けれど お歯黒溝に燈火映る 三階の騒ぎも手に取る如く・・・

(樋口一葉記念館)



一葉は一時期、この界隈に住んでおり、小説「たけくらべ」を書きました。
14歳の少女、美登里が初恋の彼氏と別れて芸者になる・・・淡い悲しいストーリー

♬ 銀杏がえしに 黒じゅすかけて
  泣いて別れたすみだ川
  思い出します観音さまの
  秋の日暮れの 鐘の声

 (注)遊郭における下級遊女の悲しい歴史については、別の機会に・・・