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 江戸の文化・風俗  寿司編(上方との比較)

2017-09-10
寿司の歴史は古く、平安時代に原型が出来ていました。

冷蔵庫のない時代、食文化は腐敗との闘い、食中毒との闘いでした。

腐る前に腐らせて食べる。これが醗酵文化、日本人の知恵でした。
(上方の箱寿司)


鯖寿司、鮒ずし、柿の葉寿司は醗酵さすことで日持ちを長くすることが出来ましたが、その製造過程は長く、鮒ずし等は半年間も寝かせます。

 江戸は武士も商人も職人も単身赴任者が多く、外食産業(ファーストフード)が欠かせませんでした。蕎麦屋・天麩羅屋と並んで寿司も屋台で売られていました。



江戸っ子は気が短い、箸も使わず立ったまま、つまんで食べる・・・そんなスタイルが受け入れられ大流行。



 (江戸前寿司)

江戸湾でトレトレのエビ・コハダ・サヨリ・キス・アワビを握り飯に乗せる。
江戸湾といえども車の無い時代、半日で腐敗は進む・・・酢が安く入手できるようになったのも「握り寿司」流行の一因でした。

 一方、上方では「江戸前寿司」は所詮・屋台のファストフード・・・相手にしていませんでした。瀬戸内海の鯛やタコ、アナゴ等・・・魚類の豊富さでは比較にならず、手間暇をかけた箱寿司が旦那衆に好まれました。

 結局のところ・・・歴史的に文化は京都が中心であり、江戸は田舎者の集まりでした。食文化もファッションも京都・上方の「お下がり」だったのが、100年~200年と江戸が国の中心として栄えてゆく間に「物まね」から独自の文化が定着し、やがて江戸文化が日本の中心文化となりました。

 徳川家康を嫌うのも、ジャイアンツを嫌うのも上方の妬みや・・・納得