江戸の文化・風俗 うどん・そば編
2017-09-09
大阪・京都は うどん文化 江戸・東京は蕎麦の食文化と思われていますが・・・
江戸時代の初期は大阪・京都と同じく うどんを食べていました。
江戸中期は「うどん蕎麦屋」として両方を扱っていました。
18世紀中頃から「蕎麦屋」が主流になります。
その原因は
①長野や茨城が蕎麦の栽培に適していた。
②それまで、醤油他食材料は全て関西から運ばれていたが、自前の醤油等をを作ることができた(野田醤油他)
③関西の昆布ダシに対し鰹ダシが好まれた。
それらの理由で独自の蕎麦文化が定着したようです。
上の絵にあるように、二八ソバが主流(小麦粉2・ソバ粉8)
落語にもあるように、16文が相場でした(400円)「今、何時?」
2×8=16文 看板の「二八」は価格を示す語呂合わせもあったみたい・・・
江戸時代の初期は大阪・京都と同じく うどんを食べていました。
江戸中期は「うどん蕎麦屋」として両方を扱っていました。
18世紀中頃から「蕎麦屋」が主流になります。
その原因は
①長野や茨城が蕎麦の栽培に適していた。
②それまで、醤油他食材料は全て関西から運ばれていたが、自前の醤油等をを作ることができた(野田醤油他)
③関西の昆布ダシに対し鰹ダシが好まれた。
それらの理由で独自の蕎麦文化が定着したようです。
上の絵にあるように、二八ソバが主流(小麦粉2・ソバ粉8)
落語にもあるように、16文が相場でした(400円)「今、何時?」
2×8=16文 看板の「二八」は価格を示す語呂合わせもあったみたい・・・