市内ポタリング(雉子畷の碑)
2017-06-23
今日は朝からいい天気なので市内をポタリング、前述の「長柄の人柱」で雉を埋めた場所に行ってみました。
「…雉を手厚く葬って北河内に引き返し、以後仲良く暮らした。」とありましたが、雉を埋めた場所が吹田市垂水町に「雉子畷の碑」として残っていました。
《 雉子畷の碑 》
帰りに泉殿宮によって「泉殿霊泉」の写真を撮ろうと寄り道しましたが、境内工事中のため写真が撮れませんでしたので、泉殿宮HPより抜粋
明治22年(西暦1889年)、「泉殿霊泉」をドイツのミュンヘンに送り、これビール醸造(じょうぞう)に適水との保証を得、当宮隣接地に同水系の湧水を以って、東洋初のビール醸造工場(現、アサヒビール㈱吹田工場)建設の逸話がある。その後、近隣の都市化に伴い上水道は普及し、又、かつての広々とした水田が殆ど姿を消したのを見届けるかのように、霊泉は地中奥深くに水脈を移し、今は、湧水していない。
《 子どもの頃は水が湧き出てた「泉殿霊泉」 》
今日も約1時間市内をポタリングしていい汗をかきました。
「…雉を手厚く葬って北河内に引き返し、以後仲良く暮らした。」とありましたが、雉を埋めた場所が吹田市垂水町に「雉子畷の碑」として残っていました。
《 雉子畷の碑 》
帰りに泉殿宮によって「泉殿霊泉」の写真を撮ろうと寄り道しましたが、境内工事中のため写真が撮れませんでしたので、泉殿宮HPより抜粋
明治22年(西暦1889年)、「泉殿霊泉」をドイツのミュンヘンに送り、これビール醸造(じょうぞう)に適水との保証を得、当宮隣接地に同水系の湧水を以って、東洋初のビール醸造工場(現、アサヒビール㈱吹田工場)建設の逸話がある。その後、近隣の都市化に伴い上水道は普及し、又、かつての広々とした水田が殆ど姿を消したのを見届けるかのように、霊泉は地中奥深くに水脈を移し、今は、湧水していない。
《 子どもの頃は水が湧き出てた「泉殿霊泉」 》
今日も約1時間市内をポタリングしていい汗をかきました。