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大阪府周辺

 将軍川誌 補足説明

2017-02-27
 「将軍川誌」 あの写真を見る限り、のぼるちゃんの言う「本物か?」と疑念が生じるのは当然かと思います。当方の説明不足でした。

この冊子は昭和61年に発行されたものです。子供たちが都会に出て、誰一人として地元に残らない。このままでは、この村落は自分の代で滅びる。心配した地元の有志が後世に残すため精魂込めて刊行したものです。

文久元年酉(1861)十二月の文書  誰も読めません。
専門家に訳してもらい現代の文字で記載しています。



明治12年頃、新政府は日本各地の実情を把握する目的で、国・県がひな形・形式を示して各村へ村誌の作製を促したのです。



内容は村の境界線、村の幅巾(東西・南北)和歌山県庁よりの距離、田辺支庁よりの距離、地勢、地味、税地、貢租、戸数、人員、山、川、滝、溝、道路、堤、社(宮)、寺、学校、会議所、物産(茶何斤、椎茸何斤、棕櫚(シュロ)皮何枚 Etc
 こと細かく報告しています。



維新から僅かの期間に全国津々浦々 こんな田舎まで調査の対象になっていたのですね。明治政府畏るべし・・・