野球人口低迷の話をきっかけに、将棋の楽しさについて考えてみたこと
2023-01-03
スポーツライターの広尾晃さんが、野球離れが進む背景にどのような課題があるのか複数の記事で言及されています。記事によると、男子中学生の運動部活の競技人口のうち、野球部に在籍する生徒数は10年前から40%以上減っています。
(2012年)
1位 軟式野球部 26万1527人
2位 サッカー部 24万8980人
(2021年)
1位 サッカー部 16万7256人
2位 バスケットボール部 16万4005人
3位 軟式野球部 14万9485人
4位 卓球部 14万6937人
少子化のため学生数はここ10年間で11%ほど減っているそうですが、それに比べても大きく減少しています。これに直接対応するデータではありませんが、将棋についてはテーブルマークこども大会の参加者数について私は注目していて、こちらの低迷はもっと大きくなっています。周知のとおりここ数年の過剰なコロナ対策の影響を強く受けているわけですが、注意深くみるとコロナ対策禍の始まる前の2018年からすでに参加者が減ってきています。屋内の活動であることが懸念されてか、こちらは過去5年くらいのピーク時から1/3~1/4くらいまで減少してきていて、野球よりダメージが大きくなっています。
高校野球についていうと、高野連の資料では高校野球(硬式)の競技人口は10年前に比べて78%の水準ですが、いまの中学生が高校進学する数年後に60%程度に落ち込むことは確実と思います。
少子化のスピード以上になぜ野球の参加者が減ってきているのか? の理由について、広尾晃さんは以下のようなことを指摘しています。
A. 甲子園を目指す野球に子供はつまらなさを感じている
B. つまらなさの主要因として勝利至上主義(甲子園を目指す野球)がある。勝利至上主義はスポーツの本質からずれている
そして「勝利至上主義」には弊害があることを指摘しています。
a. 「絶対に負けられない」ために、チームは全試合「ベストメンバー」で試合をすることを強いられる。特定のメンバだけが試合に出られ、選ばれたメンバは肉体を酷使される。
b. 「勝利以外は無価値」になるため、失敗した選手を叱責し、時には暴力を振るう指導者、相手選手の失策を笑い、ヤジり倒す選手。サイン盗みなど不正をしてでも勝とうとするチームが存在する。
スポーツマンシップという言葉はどこへやら、「怖くて楽しくない」野球はいつの間にか敬遠されるようになったのだと。将棋についてはどうでしょうか? 将棋普及の効用としてよく以下のようなことが言われます。
1. 将棋をするとじっくり考える習慣ができて勉強ができるようになる
2. 三つの礼をつうじて礼儀作法が身に付き、社会に出てからも円滑な人間関係づくりに役立つ
3. ルールを意識し守るフェアプレーの精神、誤りを誤りと潔く認め次に改善する習慣が身につく
もちろん私はそのようになってほしいと願ってクラブ運営に携わっているのですが、単純に将棋に取り組みさえすれば自然に身につくのか? といえば「そうでもない人も居る」のが現実と思っています。元奨励会生の将棋ウォーズでのチート行為の発覚とか、かつてプロ棋戦でもA級棋士のエビデンスに基づかないチート行為疑惑に対する処罰など、研鑽を積み高い倫理性を備えているはずの棋界の参加者であってすら、一般の人から見て「なぜそうなってしまうの?」と思えることが起こります。そしてその理由として、"棋力向上の追求・勝つことのみが将棋本来の、正統な楽しさの原点である"との貧困な認識にある気がしています。
私は江戸時代以前からの長い歴史の中で将棋が永く愛されてきた原点には、棋力・勝負以前の楽しさの原点があると思っています。まだきちんと整理できていませんが、以下のようなことです。
・将棋は誰でもルールを守れば自由に参加できるし、指し手も自由に選ぶことができる楽しさがある。一般社会では先生や周りから言われた通りにしないといけない場面があるけど、自分の将棋の指し手は自分の責任で決められる。
・そのぶん、負けの全責任は自分にある。でも一度負けても改善して、いつでも次の対局のチャンスがある。負けることは怖いことではなく、自分の愚かさに気づくことができ次の進歩のヒントが分かる楽しいチャンスでもある。
・正しく学べばいつまでも強くなり向上できる。性別や年齢・体力・お金持ちかどうか関係なく、平等に勝つことができるようになる。
ほかにもあるかもしれません。もちろん将棋の楽しさがどこにあるか? という考えは人それぞれで、いろんな考え方があると思います。そのような中、当クラブは設立当初から「棋力向上を目指す人・自由な将棋を楽しみたい人・対局を通じた交流を楽しみたい人が共存できる対局の場」でありたいと考えてきました。将棋の普及のためにそれは大事なことだと、野球の記事をきっかけに日ごろから感じていることを書いてみました。
なお、高校野球では、甲子園を目指す以外に、新しい取り組みとしてリーグ戦 Liga Agresiva の参加校が少しずつ増えているようで、野球の世界でも本来のスポーツの楽しさを追求する動きが広がっているようです。ほかの分野でもこうした動きが広がっていくと良いなと願っています。
参考記事
1. なぜこの10年で高校野球部の半数が消えたのか…野球離れを悪化させた「甲子園を目指す野球」の罪深さ
2. 「82対0」の野球に感動している場合ではない…高野連が見て見ぬふりする甲子園予選の「残酷ゲーム」を許すな-強豪校活躍の陰で、野球をやめる学校が増加している
3. 深刻な「子どもの野球離れ」大人が引き起こす事情 問題山積の少年野球界に対する有識者4人の視点
(2012年)
1位 軟式野球部 26万1527人
2位 サッカー部 24万8980人
(2021年)
1位 サッカー部 16万7256人
2位 バスケットボール部 16万4005人
3位 軟式野球部 14万9485人
4位 卓球部 14万6937人
少子化のため学生数はここ10年間で11%ほど減っているそうですが、それに比べても大きく減少しています。これに直接対応するデータではありませんが、将棋についてはテーブルマークこども大会の参加者数について私は注目していて、こちらの低迷はもっと大きくなっています。周知のとおりここ数年の過剰なコロナ対策の影響を強く受けているわけですが、注意深くみるとコロナ対策禍の始まる前の2018年からすでに参加者が減ってきています。屋内の活動であることが懸念されてか、こちらは過去5年くらいのピーク時から1/3~1/4くらいまで減少してきていて、野球よりダメージが大きくなっています。
高校野球についていうと、高野連の資料では高校野球(硬式)の競技人口は10年前に比べて78%の水準ですが、いまの中学生が高校進学する数年後に60%程度に落ち込むことは確実と思います。
少子化のスピード以上になぜ野球の参加者が減ってきているのか? の理由について、広尾晃さんは以下のようなことを指摘しています。
A. 甲子園を目指す野球に子供はつまらなさを感じている
B. つまらなさの主要因として勝利至上主義(甲子園を目指す野球)がある。勝利至上主義はスポーツの本質からずれている
そして「勝利至上主義」には弊害があることを指摘しています。
a. 「絶対に負けられない」ために、チームは全試合「ベストメンバー」で試合をすることを強いられる。特定のメンバだけが試合に出られ、選ばれたメンバは肉体を酷使される。
b. 「勝利以外は無価値」になるため、失敗した選手を叱責し、時には暴力を振るう指導者、相手選手の失策を笑い、ヤジり倒す選手。サイン盗みなど不正をしてでも勝とうとするチームが存在する。
スポーツマンシップという言葉はどこへやら、「怖くて楽しくない」野球はいつの間にか敬遠されるようになったのだと。将棋についてはどうでしょうか? 将棋普及の効用としてよく以下のようなことが言われます。
1. 将棋をするとじっくり考える習慣ができて勉強ができるようになる
2. 三つの礼をつうじて礼儀作法が身に付き、社会に出てからも円滑な人間関係づくりに役立つ
3. ルールを意識し守るフェアプレーの精神、誤りを誤りと潔く認め次に改善する習慣が身につく
もちろん私はそのようになってほしいと願ってクラブ運営に携わっているのですが、単純に将棋に取り組みさえすれば自然に身につくのか? といえば「そうでもない人も居る」のが現実と思っています。元奨励会生の将棋ウォーズでのチート行為の発覚とか、かつてプロ棋戦でもA級棋士のエビデンスに基づかないチート行為疑惑に対する処罰など、研鑽を積み高い倫理性を備えているはずの棋界の参加者であってすら、一般の人から見て「なぜそうなってしまうの?」と思えることが起こります。そしてその理由として、"棋力向上の追求・勝つことのみが将棋本来の、正統な楽しさの原点である"との貧困な認識にある気がしています。
私は江戸時代以前からの長い歴史の中で将棋が永く愛されてきた原点には、棋力・勝負以前の楽しさの原点があると思っています。まだきちんと整理できていませんが、以下のようなことです。
・将棋は誰でもルールを守れば自由に参加できるし、指し手も自由に選ぶことができる楽しさがある。一般社会では先生や周りから言われた通りにしないといけない場面があるけど、自分の将棋の指し手は自分の責任で決められる。
・そのぶん、負けの全責任は自分にある。でも一度負けても改善して、いつでも次の対局のチャンスがある。負けることは怖いことではなく、自分の愚かさに気づくことができ次の進歩のヒントが分かる楽しいチャンスでもある。
・正しく学べばいつまでも強くなり向上できる。性別や年齢・体力・お金持ちかどうか関係なく、平等に勝つことができるようになる。
ほかにもあるかもしれません。もちろん将棋の楽しさがどこにあるか? という考えは人それぞれで、いろんな考え方があると思います。そのような中、当クラブは設立当初から「棋力向上を目指す人・自由な将棋を楽しみたい人・対局を通じた交流を楽しみたい人が共存できる対局の場」でありたいと考えてきました。将棋の普及のためにそれは大事なことだと、野球の記事をきっかけに日ごろから感じていることを書いてみました。
なお、高校野球では、甲子園を目指す以外に、新しい取り組みとしてリーグ戦 Liga Agresiva の参加校が少しずつ増えているようで、野球の世界でも本来のスポーツの楽しさを追求する動きが広がっているようです。ほかの分野でもこうした動きが広がっていくと良いなと願っています。
参考記事
1. なぜこの10年で高校野球部の半数が消えたのか…野球離れを悪化させた「甲子園を目指す野球」の罪深さ
2. 「82対0」の野球に感動している場合ではない…高野連が見て見ぬふりする甲子園予選の「残酷ゲーム」を許すな-強豪校活躍の陰で、野球をやめる学校が増加している
3. 深刻な「子どもの野球離れ」大人が引き起こす事情 問題山積の少年野球界に対する有識者4人の視点