平成31年度 卒業式
2020-03-01
本日、卒業式が執り行われました。
三年生の野球部生徒が、最後に挨拶に来てくれました。
昨年度に続き、今年度の卒業生も最後は後輩による胴上げで送りだそうと考えており
ましたが、ウィルスの影響により在校生の参加ができなくなり、胴上げはできません
でした。
卒業生の皆さん、本当におめでとうございます。
新しい世界で、堂々と勝負していかれることを祈っております。
君たちなら大丈夫。そう実感しております。
また、夏の大会の時に、会いましょう。
くれぐれも、事故などに気をつけて、元気に過ごしてください。願いはそれだけで
す。
ハンドボール部の勢力君が詠んだ答辞を掲載させて頂きます。
桑名工業高校ハンドボール部、初の全国大会出場チームのキャプテンを務めた勢力君。取組みや考えが素晴らしく共感できたため、掲載させて頂きます。
『答辞』
正門前の桜のつぼみのふくらみに、春がもうすぐそこまで来ていることを感じさせる頃となりました。
本日は、私たち卒業生のために盛大な式を挙行していただきありがとうございます。また、ご多忙の中、ご出席いただきましたご来賓の皆様には、心よりお礼申し上げます。
先ほど校長先生、来賓の皆様、在校生のみなさんからいただいた温かいお言葉を胸に、私たち一五六名は桑名工業高等学校を卒業します。
三年前、私は地元企業への就職の強さと部活動に熱心に取り組んでいる桑名工業高校に魅力を感じ、本校に入学しました。一方で中学校とは違う厳しさや、工業高校の実習についていけるかという不安もありました。しかし、厳しさはルールを守って行動するという当たり前の行動を求められているに過ぎませんでした。また、実習は先生方が基礎から丁寧に教えてくださったおかげで、次第に物を作ることの喜びを知ることができました。
私にとって、部活動なしに、高校生活を語ることはできません。私は、四月、初心者としてハンドボール部に入部しました。最初は、先輩方がプレーしている様子を見学し、「面白そうだな」という軽い気持ちでの入部でした。しかし、その気持ちは一瞬で打ち消されました。速攻練習ではとにかく走る練習がきつく、攻守が切り替わるたびに走って、走って走りました。こんなに練習がしんどいとは思っていませんでした。身体の接触も多く、とにかくぶつかったり、当たったりひねったり、想像以上に痛いと感じることが多く、それでも走って走ってボールをつなぎ、奪い、ブロックし、パスをしてシュートしなければ、勝てません。練習試合の時など、役にも立てず、身体もきつくて何度やめようと思ったかわかりませんでした。しかし、部活の仲間と励まし合い、自主練習を行うことで、一年生の夏が終わる頃には少しずつ体力がつき、練習試合でも活躍できるようになってきました。ハンドボールが楽しくなってきたのは、この頃かもしれません。同時に「勝ちたい」という気持ちも強く持つようになりました。しかし、私たちの前には四日市工業高校という大きな壁がいつもありました。新チームになり、自分たちがチームの主力となってからも、決勝戦で四日市工業高校にあたり負け続けました。しかし、私たちは諦めませんでした。「歴史を変える」というスローガンの元、先生方の熱心な指導、個性豊かな仲間たちと励まし合い、叱咤激励し合い、他県の強豪校との練習試合、合宿などを経て、少しずつ、勝てる自信がついていったのだと思います。
いよいよ、迎えた、県総体。桑名工業高校ハンドボール部は順調に勝ち上がり、決勝戦で四日市工業高校と対戦することになりました。インターハイへの切符は一枚のみ。不安な気持ちも強く、試合の前半は相手ペースですすみ、自分たちの攻めもうまくまわりませんでした、必死で守り、苦しみながらも11対13で前半を折り返します。ようやく、この時になって「いけるんじゃないか」という思いが共通意識として生まれたのだと思います。
後半、自分たちの本来のプレーが戻ってきました。しかし相手は四日市工業高校です。取ったら、取られるの攻防が続きました。会場は、点数が入るたびにものすごい歓声です。私たちも、歓声に応えるように身体が動きました。少ないチャンスをものにして、気づけば追いつき、その後の四日市工業高校の猛攻をしのぎ、自分たちのボールをパスでつなぎ、小林が放ったシュートが相手のゴールネットを揺らしました。割れんばかりのベンチと会場の歓声。ようやく、わずかに一点、四日市工業高校にリードしたのです。残り時間はあと数分。相手の激しい攻めが始まります。必死で、ボールを追い、止め、終了のブザーが鳴ったとき、ものすごい歓喜の感情が、あふれました。
「四日市工業高校に勝った」
まさに、「歴史を変えた」瞬間でした。あの高揚感は忘れることができません。
時間を削っての苦しい練習、けがの連続での悔しさ、それでも続けられたのは、個性豊かな仲間たちとともに、笑い、泣き、励まし合った時間があったからです。この三年間の思い出は、私たちの未来をずっと支えてくれることになると思います。
後輩の皆さん、高校生活は充実していますか?どうか、この人生でも貴重な三年間を実り多い物にしてください。何かに必死で取り組むことは、きつくてしんどいことかもしれません。でも、それ以上に素晴らしい世界を見ることができます。残りの高校生活を、何かにチャレンジし、ぜひ精一杯過ごしてください。
校長先生を始め、先生方には、様々な面で本当にお世話になりました。部活動においても、クラス活動や実習、授業においても未熟で、素直になれないときもあった私たちに、根気強くご指導いただき、本当にありがとうございました。
保護者の皆様、ここまで一八年間育てていただき、ありがとうございました。時には、反発し、いらだちをぶつけたこともあります。しかし、ここにいる、だれもが保護者の支えなしにここまでこれることはありませんでした。改めて、お礼申し上げます。
私たちは、それぞれの進路に進みます。まだまだ、心配をかけることがあるかと思いますが、いずれは一人前の大人になって少しずつ恩返しをしたいと思います。もう少し、見守ってください。
最後になりましたが、今日まで私たちを支えてくださった皆様に改めてお礼申し上げるとともに、桑名工業高等学校のますますのご発展をお祈りし、答辞といたします。
令和二年三月一日
卒業生代表 勢力 大地
三年生の野球部生徒が、最後に挨拶に来てくれました。
昨年度に続き、今年度の卒業生も最後は後輩による胴上げで送りだそうと考えており
ましたが、ウィルスの影響により在校生の参加ができなくなり、胴上げはできません
でした。
卒業生の皆さん、本当におめでとうございます。
新しい世界で、堂々と勝負していかれることを祈っております。
君たちなら大丈夫。そう実感しております。
また、夏の大会の時に、会いましょう。
くれぐれも、事故などに気をつけて、元気に過ごしてください。願いはそれだけで
す。
ハンドボール部の勢力君が詠んだ答辞を掲載させて頂きます。
桑名工業高校ハンドボール部、初の全国大会出場チームのキャプテンを務めた勢力君。取組みや考えが素晴らしく共感できたため、掲載させて頂きます。
『答辞』
正門前の桜のつぼみのふくらみに、春がもうすぐそこまで来ていることを感じさせる頃となりました。
本日は、私たち卒業生のために盛大な式を挙行していただきありがとうございます。また、ご多忙の中、ご出席いただきましたご来賓の皆様には、心よりお礼申し上げます。
先ほど校長先生、来賓の皆様、在校生のみなさんからいただいた温かいお言葉を胸に、私たち一五六名は桑名工業高等学校を卒業します。
三年前、私は地元企業への就職の強さと部活動に熱心に取り組んでいる桑名工業高校に魅力を感じ、本校に入学しました。一方で中学校とは違う厳しさや、工業高校の実習についていけるかという不安もありました。しかし、厳しさはルールを守って行動するという当たり前の行動を求められているに過ぎませんでした。また、実習は先生方が基礎から丁寧に教えてくださったおかげで、次第に物を作ることの喜びを知ることができました。
私にとって、部活動なしに、高校生活を語ることはできません。私は、四月、初心者としてハンドボール部に入部しました。最初は、先輩方がプレーしている様子を見学し、「面白そうだな」という軽い気持ちでの入部でした。しかし、その気持ちは一瞬で打ち消されました。速攻練習ではとにかく走る練習がきつく、攻守が切り替わるたびに走って、走って走りました。こんなに練習がしんどいとは思っていませんでした。身体の接触も多く、とにかくぶつかったり、当たったりひねったり、想像以上に痛いと感じることが多く、それでも走って走ってボールをつなぎ、奪い、ブロックし、パスをしてシュートしなければ、勝てません。練習試合の時など、役にも立てず、身体もきつくて何度やめようと思ったかわかりませんでした。しかし、部活の仲間と励まし合い、自主練習を行うことで、一年生の夏が終わる頃には少しずつ体力がつき、練習試合でも活躍できるようになってきました。ハンドボールが楽しくなってきたのは、この頃かもしれません。同時に「勝ちたい」という気持ちも強く持つようになりました。しかし、私たちの前には四日市工業高校という大きな壁がいつもありました。新チームになり、自分たちがチームの主力となってからも、決勝戦で四日市工業高校にあたり負け続けました。しかし、私たちは諦めませんでした。「歴史を変える」というスローガンの元、先生方の熱心な指導、個性豊かな仲間たちと励まし合い、叱咤激励し合い、他県の強豪校との練習試合、合宿などを経て、少しずつ、勝てる自信がついていったのだと思います。
いよいよ、迎えた、県総体。桑名工業高校ハンドボール部は順調に勝ち上がり、決勝戦で四日市工業高校と対戦することになりました。インターハイへの切符は一枚のみ。不安な気持ちも強く、試合の前半は相手ペースですすみ、自分たちの攻めもうまくまわりませんでした、必死で守り、苦しみながらも11対13で前半を折り返します。ようやく、この時になって「いけるんじゃないか」という思いが共通意識として生まれたのだと思います。
後半、自分たちの本来のプレーが戻ってきました。しかし相手は四日市工業高校です。取ったら、取られるの攻防が続きました。会場は、点数が入るたびにものすごい歓声です。私たちも、歓声に応えるように身体が動きました。少ないチャンスをものにして、気づけば追いつき、その後の四日市工業高校の猛攻をしのぎ、自分たちのボールをパスでつなぎ、小林が放ったシュートが相手のゴールネットを揺らしました。割れんばかりのベンチと会場の歓声。ようやく、わずかに一点、四日市工業高校にリードしたのです。残り時間はあと数分。相手の激しい攻めが始まります。必死で、ボールを追い、止め、終了のブザーが鳴ったとき、ものすごい歓喜の感情が、あふれました。
「四日市工業高校に勝った」
まさに、「歴史を変えた」瞬間でした。あの高揚感は忘れることができません。
時間を削っての苦しい練習、けがの連続での悔しさ、それでも続けられたのは、個性豊かな仲間たちとともに、笑い、泣き、励まし合った時間があったからです。この三年間の思い出は、私たちの未来をずっと支えてくれることになると思います。
後輩の皆さん、高校生活は充実していますか?どうか、この人生でも貴重な三年間を実り多い物にしてください。何かに必死で取り組むことは、きつくてしんどいことかもしれません。でも、それ以上に素晴らしい世界を見ることができます。残りの高校生活を、何かにチャレンジし、ぜひ精一杯過ごしてください。
校長先生を始め、先生方には、様々な面で本当にお世話になりました。部活動においても、クラス活動や実習、授業においても未熟で、素直になれないときもあった私たちに、根気強くご指導いただき、本当にありがとうございました。
保護者の皆様、ここまで一八年間育てていただき、ありがとうございました。時には、反発し、いらだちをぶつけたこともあります。しかし、ここにいる、だれもが保護者の支えなしにここまでこれることはありませんでした。改めて、お礼申し上げます。
私たちは、それぞれの進路に進みます。まだまだ、心配をかけることがあるかと思いますが、いずれは一人前の大人になって少しずつ恩返しをしたいと思います。もう少し、見守ってください。
最後になりましたが、今日まで私たちを支えてくださった皆様に改めてお礼申し上げるとともに、桑名工業高等学校のますますのご発展をお祈りし、答辞といたします。
令和二年三月一日
卒業生代表 勢力 大地