「虔十(けんじゅう)公園林」を知っていますか?
2020-10-31
2020年10月31日
「虔十(けんじゅう)公園林」を知っていますか?
HP管理人 宮 川 徹
「虔十公園林」という宮沢賢治の短編をご存じでしょうか。
虔十という名前の、軽い知的障害のある少年が、農家である父親から杉苗700本を買って貰い、家の裏手にある痩せた広場に植林しますが、粘土質の痩せた土地であるため、杉の木は高さが2~3m程度までしか育つことができませんでした。
それでも杉苗を植えた土地は、近所にあった小学校の校庭に隣接していたため、子供たちが通ることが多くなり、背丈の低い杉林は子供たちの格好の遊び場になっていきました。
その後、虔十少年はチフスに罹患して亡くなってしまいます。時代が移り変わって村の開発が進み、杉林売却の話もありましたが、父親は杉林を「虔十の唯一の想い出だから」という理由でそのまま残します。
十数年後、その小学校を卒業した若い博士が、小学校に講演にやってきます。講演後に校長から学校を案内された博士は、校庭に隣接する杉林を認め、自分の子供時代と同様に現在の子供たちもその杉林で遊んでいる光景に胸を打たれます。そして博士の発案により、杉林を「虔十公園林」と名付けて石碑を設置し、いつまでも保存したというものです。
「虔十公園林」は、私が小学生の時代に、国語教科の題材として、教科書に載っていました。短編ながら家族や村人との関わり等、要所に見せ場もあり、子供心に知的障害者の存在を身近に考えさせる内容でした。今回は、「虔十公園林」の内容から、現在の私自身の感想を述べてみたいと思います
1 家族愛溢れる虔十一家
虔十の家族は、父母と兄が一人の4人家族です。一家で農業を営んでいますが、虔十も草刈りや荷物運び程度はできました。それでも虔十の父母は無理に仕事をさせるようなことはしませんでした。虔十がある日、杉苗を買ってくれとせがんだとき、母と兄は訝しがりますが、父は今まで我が儘を言ったことがない虔十に対して、杉苗の購入を許します。
虔十のお兄さんは、とても気が利く人で、いつも虔十を上手にサポートしてくれます。虔十が杉苗を植える際、隣の畑を持つ意地悪い村人(平二)に絡まれた時は、一緒に植林作業をしていた兄がさっと立ち上がり、村人に挨拶することで虔十の窮地を救います。また、虔十が悪い村人に唆されて、高さが数メートルに満たない杉林を枝打ちしてしまい、ほとんど禿げ山になってしまったときも、杉林の惨状を見て笑いながら「良い薪が一杯できた。拾って集めるベ。」と言ってくれます。一時呆然となってしまった虔十は、兄の一言で気分が戻り一緒に薪拾いを手伝うのでした。
2 人生唯一の反抗
虔十は一人で外にいるとき、運悪く意地の悪い村人の平二に、再び絡まれてしまいます。平二は、自分の畑が杉林で日陰になるから杉を切れと凄みます。(しかし実際にはほとんど日陰にはならず、却って南からの強風を防いでいるのでした。)平二は切れ切れとしつこく迫りますが、虔十はこの時初めて「切らない」と反抗します。これを聞いて逆上した平二は虔十を殴りつけますが、反応がない虔十を見て気味が悪くなって、諦めて帰ります。この直後に平二は、天罰なのかチフスに罹患して死ぬことになりますが、この事件の時に感染してしまったのか、虔十少年も続けて、あの世に召されることになるのです。
平二が死んだことで、杉林に対して文句を言うものが居なくなり、虔十も亡くなったことで、杉林に対する虔十一家の、虔十自身に対する想い出が一層強くなり、杉林が永遠に残ることになったターニングポイントと言えるのです。
3 十力の作用
十数年の年月が経って、小学校の卒業生である博士が、懐かしい、校庭に隣接する杉林が未だに残っていることの経緯を校長から聞きつけるにつれ、「十力の作用」という言葉を呟きます。
仏の十力:仏(如来)のみが具える10種の智力のこと。
処非処智力 - 道理と、非道理との違いをはっきりと見分ける力
業異熟智力 - 業とその果報因と果の関係を知る力
静慮解脱等持等至智力 - 禅定を知る力
根上下智力 - 衆生の精神の優劣を知る力
種種勝解智力 - 衆生のまことの望みを知る力
種種界智力 - 衆生の本性を知る力
遍趣行智力 - 衆生が地獄や涅槃など種々に赴くことになる行因を知る力
宿住随念智力 - 自分や他者の過去世を思い起こす力
死生智力 - 衆生が死ぬ道理、むこうに生まれる道理を知る力
漏尽智力 - 涅槃に達するための手段を知る力
何故、このような杉林が造られ、現在まで残されることになったのか。それは、当時杉林の影で見え隠れしていた、虔十という知的障害のある少年の手によって造られたのだ、ということを初めて知ることになります。その事が、この小学校から育っていった今ある自分や、その他の偉人たちが有るのも、この杉林という環境があったればこその賜であり、巡り巡って虔十少年のお陰であることを思い知るのです。これらの巡り合わせの奇跡を、博士は「十力の作用」という仏の力に見立てて表したのです。
4 まとめ
「虔十公園林」が発表されたのは、宮沢賢治没から一年後の、昭和九年の事でした。そして私が初めてこの作品に出会ったのは、小学校低学年の昭和四十年代前半でした。その後、私が成人して結婚し、生まれた長男には奇しくも、知的障害がありました。長男を育てていく中で思うことは、長男の存在が家族にとっては掛け替えのないものであると共に、長男が生きてきた社会においても、周囲に対して存在感を与えてきたことは間違いの無いことと言う自負があります。知的障害のある虔十少年の存在感は、時代を越えて、私達のような障碍者を抱える家族にとって、生きる勇気を与えてくれるものです。虔十少年が杉林の枝打ちをしたことは大きな失敗かもしれないが、子供達が杉林で遊ぶことになった大きな切っ掛けでもあったのです。
(2016年相模原障碍者施設殺傷事件への大いなる批判を込めて)
「虔十公園林」原作へのリンク:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46601_33328.html
「虔十(けんじゅう)公園林」を知っていますか?
HP管理人 宮 川 徹
「虔十公園林」という宮沢賢治の短編をご存じでしょうか。
虔十という名前の、軽い知的障害のある少年が、農家である父親から杉苗700本を買って貰い、家の裏手にある痩せた広場に植林しますが、粘土質の痩せた土地であるため、杉の木は高さが2~3m程度までしか育つことができませんでした。
それでも杉苗を植えた土地は、近所にあった小学校の校庭に隣接していたため、子供たちが通ることが多くなり、背丈の低い杉林は子供たちの格好の遊び場になっていきました。
その後、虔十少年はチフスに罹患して亡くなってしまいます。時代が移り変わって村の開発が進み、杉林売却の話もありましたが、父親は杉林を「虔十の唯一の想い出だから」という理由でそのまま残します。
十数年後、その小学校を卒業した若い博士が、小学校に講演にやってきます。講演後に校長から学校を案内された博士は、校庭に隣接する杉林を認め、自分の子供時代と同様に現在の子供たちもその杉林で遊んでいる光景に胸を打たれます。そして博士の発案により、杉林を「虔十公園林」と名付けて石碑を設置し、いつまでも保存したというものです。
「虔十公園林」は、私が小学生の時代に、国語教科の題材として、教科書に載っていました。短編ながら家族や村人との関わり等、要所に見せ場もあり、子供心に知的障害者の存在を身近に考えさせる内容でした。今回は、「虔十公園林」の内容から、現在の私自身の感想を述べてみたいと思います
1 家族愛溢れる虔十一家
虔十の家族は、父母と兄が一人の4人家族です。一家で農業を営んでいますが、虔十も草刈りや荷物運び程度はできました。それでも虔十の父母は無理に仕事をさせるようなことはしませんでした。虔十がある日、杉苗を買ってくれとせがんだとき、母と兄は訝しがりますが、父は今まで我が儘を言ったことがない虔十に対して、杉苗の購入を許します。
虔十のお兄さんは、とても気が利く人で、いつも虔十を上手にサポートしてくれます。虔十が杉苗を植える際、隣の畑を持つ意地悪い村人(平二)に絡まれた時は、一緒に植林作業をしていた兄がさっと立ち上がり、村人に挨拶することで虔十の窮地を救います。また、虔十が悪い村人に唆されて、高さが数メートルに満たない杉林を枝打ちしてしまい、ほとんど禿げ山になってしまったときも、杉林の惨状を見て笑いながら「良い薪が一杯できた。拾って集めるベ。」と言ってくれます。一時呆然となってしまった虔十は、兄の一言で気分が戻り一緒に薪拾いを手伝うのでした。
2 人生唯一の反抗
虔十は一人で外にいるとき、運悪く意地の悪い村人の平二に、再び絡まれてしまいます。平二は、自分の畑が杉林で日陰になるから杉を切れと凄みます。(しかし実際にはほとんど日陰にはならず、却って南からの強風を防いでいるのでした。)平二は切れ切れとしつこく迫りますが、虔十はこの時初めて「切らない」と反抗します。これを聞いて逆上した平二は虔十を殴りつけますが、反応がない虔十を見て気味が悪くなって、諦めて帰ります。この直後に平二は、天罰なのかチフスに罹患して死ぬことになりますが、この事件の時に感染してしまったのか、虔十少年も続けて、あの世に召されることになるのです。
平二が死んだことで、杉林に対して文句を言うものが居なくなり、虔十も亡くなったことで、杉林に対する虔十一家の、虔十自身に対する想い出が一層強くなり、杉林が永遠に残ることになったターニングポイントと言えるのです。
3 十力の作用
十数年の年月が経って、小学校の卒業生である博士が、懐かしい、校庭に隣接する杉林が未だに残っていることの経緯を校長から聞きつけるにつれ、「十力の作用」という言葉を呟きます。
仏の十力:仏(如来)のみが具える10種の智力のこと。
処非処智力 - 道理と、非道理との違いをはっきりと見分ける力
業異熟智力 - 業とその果報因と果の関係を知る力
静慮解脱等持等至智力 - 禅定を知る力
根上下智力 - 衆生の精神の優劣を知る力
種種勝解智力 - 衆生のまことの望みを知る力
種種界智力 - 衆生の本性を知る力
遍趣行智力 - 衆生が地獄や涅槃など種々に赴くことになる行因を知る力
宿住随念智力 - 自分や他者の過去世を思い起こす力
死生智力 - 衆生が死ぬ道理、むこうに生まれる道理を知る力
漏尽智力 - 涅槃に達するための手段を知る力
何故、このような杉林が造られ、現在まで残されることになったのか。それは、当時杉林の影で見え隠れしていた、虔十という知的障害のある少年の手によって造られたのだ、ということを初めて知ることになります。その事が、この小学校から育っていった今ある自分や、その他の偉人たちが有るのも、この杉林という環境があったればこその賜であり、巡り巡って虔十少年のお陰であることを思い知るのです。これらの巡り合わせの奇跡を、博士は「十力の作用」という仏の力に見立てて表したのです。
4 まとめ
「虔十公園林」が発表されたのは、宮沢賢治没から一年後の、昭和九年の事でした。そして私が初めてこの作品に出会ったのは、小学校低学年の昭和四十年代前半でした。その後、私が成人して結婚し、生まれた長男には奇しくも、知的障害がありました。長男を育てていく中で思うことは、長男の存在が家族にとっては掛け替えのないものであると共に、長男が生きてきた社会においても、周囲に対して存在感を与えてきたことは間違いの無いことと言う自負があります。知的障害のある虔十少年の存在感は、時代を越えて、私達のような障碍者を抱える家族にとって、生きる勇気を与えてくれるものです。虔十少年が杉林の枝打ちをしたことは大きな失敗かもしれないが、子供達が杉林で遊ぶことになった大きな切っ掛けでもあったのです。
(2016年相模原障碍者施設殺傷事件への大いなる批判を込めて)
「虔十公園林」原作へのリンク:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46601_33328.html