伝統文化、伝統武術の可能性について
2018-05-31
皆さん、こんにちは
私は身体が小さいし、フィジカルの能力が弱い。運動はからっきしダメな方でした。
更に、胃癌のL4で5分の4を切除して、鍛えてきた体力も技術も全部なくしてマイナスからの再出発を・・・・・
でだ。
伝統武術の型には 「絶対にそうしなければならない動き」 が整理されているのですね。結論から言うと。どんなに才能があったり、フィジカルの可能性を持っていても、結局は型通り、口伝通りの稽古をしないといけません。
千日を練、万の練を稽古とする・・・・でしたか?
型を体現するには、一度や二度繰り返しても全くモノにはならない。
何度も繰り返すうちに段々と「解ってくる」。これを詳しく書いても面白くないので、各伝統技芸の修行者は頑張ってほしいところ。
修行と言うと、何だかメンドクサイ感じですが、慣れるとこの日々が心と体の依り代になる。
忙しいから練習できない、体調が悪いから練習したくない。
受験だから、試験だから、
ところで私は デート とか 子供と遊びたい 奥さんと映画を
とか言うのはOKにしています。
ですが、おのれ自身を鍛える時間を何かの理由で否定すると、最終的にすべてにあきらめの心に結び付けるきっかけになり兼ねない。
私のかつてはそうだったのですね、もう、立派な負け犬だったの。
でも、大船空手道場と言う、地元の道場に入門(日本語の方)してから、少しずつ自分の言い訳に気づいたのと、自分の可能性の様なモノに気が付いたのだ。
そして、勉強をして大学に入った。その後は何に対しても「向き合う」という事を続けてきました。
お手本になったのが道場の師範・師範代・諸兄です。
師範は某メーカーの人で、当然ながら超忙しい。金曜の稽古に駆けつけて、バリバリの指導をしてくれるのですが、当然、自己練磨を怠っていないので技は常にキレキレです。現在御年72歳、まったく衰えを見せないと言うか、技術は向上していて驚愕しました。
師範代は某有名スポーツ用品商社の部長さんで、これまた稽古時間ギリギリに来て、グッタリと着替えながら気息を整えて指導に入ります。これまた日々の稽古を欠かさないので・・・・・
諸兄とも毎日忙しくても練習練習でした。ケガなんかへっちゃら!と言う雰囲気です。
先日、帰国のあいさつで伺ったら、当時の皆さん現役で鍛えていて、年齢が上なほど、技が切れます。とてもその年齢には見えないし身体の厚みや纏う雰囲気が違います。
先月の合気道部訪問では古参の卒業生や毎日練習に来る熱心な生徒は練度によって風格が違うし、特に監督の武人モードは凄かった。
纏っている感じです。なぜそう感じたかと言うと、普段の御仕事の顔をしっていて、人当たりが良く、何時もニコニコしているイメージとのギャップが。
共通してあるのは稽古量の多い、長い人ほど、様々な事に対して柔らかく構えている事です。胆力と言うか。
一方、若い入門者達について、迷いは当然見受けられれマス。
・・・・・・・・
「一生懸命練習する子がいるんですが、ゼミの先生から武術の練習をしていると試験に受からないぞ!と言われて辞めようと思います・・・・と相談を受けた」
なんて話があったのです。まあ、普通考えれば沢山勉強したら受かる様な気がしますしね。でも、鍛えて勉強して受かっている人もいる。それから、ライセンスははっきり言ってライセンスでしかない。何かのライセンスが有っても業界人としての実力が無ければ3流で終わってしまう。
母校は法学が強いので、例えば目標を弁護士とします。弁護士の資格を得るのは大変です。そりゃね。でも、法廷の場なり企業との相談なりの時に、いちいちガタガタドキドキする弁護士よりもドンと肝の据わった人と話すのではどちらが頼りになるか?
何かの不安要素で判断を誤ったり、出来ない要素を最初から見据えて動いたりでは結局は最後の良いところを見出すに至らないと私は考えるのです。
学生であれば、週に二回三回の合同稽古、毎日一時間の稽古をすると、他の事がおろそかになるのであれば、最初から生活のリズムなどに何らかの問題を抱えていると考えた方がイイ。経済的な事や無理な勉強法や量とか。
ビジネスの世界では、どうやら上に行く人ほどフィジカルを鍛える時間を探し、少しでも学ぶ時間を作るそうです。
実際、ビジネスだけではなく、社会におけるキーパーソンは学び・鍛え続ける。
伝統技芸は年齢・才能・フィジカルを問わない。
鍛えるフィールドがあり、切磋琢磨する友人がいれば、身体と心を何時までも成長させる要素がある。良い指導者がいれば更に良い。
基本的に試合が無いので、鍛えた力の意味をその場で知る事は無く、ジワジワと実生活の中で感じ取る、若しくは感じもせずに活き活きと過ごすことが出来る。
伝統武術の場合、エゲツナイ技が多いので、実生活で使ったら即逮捕の可能性もある。その一方、試合用の練習ではないので他流とガチガチやったら近代格闘技に即応は出来ない。
でも、それでも、伝統技芸は現代社会において意味を成す。
自己を見つめ、自分にあるもので前に進む力。見極める覚悟。
よし、綺麗にまとまったぞ!!
以上、陳氏太極拳・塚本より
私は身体が小さいし、フィジカルの能力が弱い。運動はからっきしダメな方でした。
更に、胃癌のL4で5分の4を切除して、鍛えてきた体力も技術も全部なくしてマイナスからの再出発を・・・・・
でだ。
伝統武術の型には 「絶対にそうしなければならない動き」 が整理されているのですね。結論から言うと。どんなに才能があったり、フィジカルの可能性を持っていても、結局は型通り、口伝通りの稽古をしないといけません。
千日を練、万の練を稽古とする・・・・でしたか?
型を体現するには、一度や二度繰り返しても全くモノにはならない。
何度も繰り返すうちに段々と「解ってくる」。これを詳しく書いても面白くないので、各伝統技芸の修行者は頑張ってほしいところ。
修行と言うと、何だかメンドクサイ感じですが、慣れるとこの日々が心と体の依り代になる。
忙しいから練習できない、体調が悪いから練習したくない。
受験だから、試験だから、
ところで私は デート とか 子供と遊びたい 奥さんと映画を
とか言うのはOKにしています。
ですが、おのれ自身を鍛える時間を何かの理由で否定すると、最終的にすべてにあきらめの心に結び付けるきっかけになり兼ねない。
私のかつてはそうだったのですね、もう、立派な負け犬だったの。
でも、大船空手道場と言う、地元の道場に入門(日本語の方)してから、少しずつ自分の言い訳に気づいたのと、自分の可能性の様なモノに気が付いたのだ。
そして、勉強をして大学に入った。その後は何に対しても「向き合う」という事を続けてきました。
お手本になったのが道場の師範・師範代・諸兄です。
師範は某メーカーの人で、当然ながら超忙しい。金曜の稽古に駆けつけて、バリバリの指導をしてくれるのですが、当然、自己練磨を怠っていないので技は常にキレキレです。現在御年72歳、まったく衰えを見せないと言うか、技術は向上していて驚愕しました。
師範代は某有名スポーツ用品商社の部長さんで、これまた稽古時間ギリギリに来て、グッタリと着替えながら気息を整えて指導に入ります。これまた日々の稽古を欠かさないので・・・・・
諸兄とも毎日忙しくても練習練習でした。ケガなんかへっちゃら!と言う雰囲気です。
先日、帰国のあいさつで伺ったら、当時の皆さん現役で鍛えていて、年齢が上なほど、技が切れます。とてもその年齢には見えないし身体の厚みや纏う雰囲気が違います。
先月の合気道部訪問では古参の卒業生や毎日練習に来る熱心な生徒は練度によって風格が違うし、特に監督の武人モードは凄かった。
纏っている感じです。なぜそう感じたかと言うと、普段の御仕事の顔をしっていて、人当たりが良く、何時もニコニコしているイメージとのギャップが。
共通してあるのは稽古量の多い、長い人ほど、様々な事に対して柔らかく構えている事です。胆力と言うか。
一方、若い入門者達について、迷いは当然見受けられれマス。
・・・・・・・・
「一生懸命練習する子がいるんですが、ゼミの先生から武術の練習をしていると試験に受からないぞ!と言われて辞めようと思います・・・・と相談を受けた」
なんて話があったのです。まあ、普通考えれば沢山勉強したら受かる様な気がしますしね。でも、鍛えて勉強して受かっている人もいる。それから、ライセンスははっきり言ってライセンスでしかない。何かのライセンスが有っても業界人としての実力が無ければ3流で終わってしまう。
母校は法学が強いので、例えば目標を弁護士とします。弁護士の資格を得るのは大変です。そりゃね。でも、法廷の場なり企業との相談なりの時に、いちいちガタガタドキドキする弁護士よりもドンと肝の据わった人と話すのではどちらが頼りになるか?
何かの不安要素で判断を誤ったり、出来ない要素を最初から見据えて動いたりでは結局は最後の良いところを見出すに至らないと私は考えるのです。
学生であれば、週に二回三回の合同稽古、毎日一時間の稽古をすると、他の事がおろそかになるのであれば、最初から生活のリズムなどに何らかの問題を抱えていると考えた方がイイ。経済的な事や無理な勉強法や量とか。
ビジネスの世界では、どうやら上に行く人ほどフィジカルを鍛える時間を探し、少しでも学ぶ時間を作るそうです。
実際、ビジネスだけではなく、社会におけるキーパーソンは学び・鍛え続ける。
伝統技芸は年齢・才能・フィジカルを問わない。
鍛えるフィールドがあり、切磋琢磨する友人がいれば、身体と心を何時までも成長させる要素がある。良い指導者がいれば更に良い。
基本的に試合が無いので、鍛えた力の意味をその場で知る事は無く、ジワジワと実生活の中で感じ取る、若しくは感じもせずに活き活きと過ごすことが出来る。
伝統武術の場合、エゲツナイ技が多いので、実生活で使ったら即逮捕の可能性もある。その一方、試合用の練習ではないので他流とガチガチやったら近代格闘技に即応は出来ない。
でも、それでも、伝統技芸は現代社会において意味を成す。
自己を見つめ、自分にあるもので前に進む力。見極める覚悟。
よし、綺麗にまとまったぞ!!
以上、陳氏太極拳・塚本より