主な活動場所
東京都国立市 中央郵政研修センター

 音楽の時間 7 〈音楽は何処に向かって動くのか〉

2023-01-09
久しぶりに書きます。
前回から約3年。コロナ禍では活動もなかなか出来ず、当初は練習して思ったことを書こうかなぁと思うと、また練習が出来なくなっての繰り返しでした。昨年の演奏会やコンクールでは、久しぶりで思うところがありすぎて、でも出来ない自分にテンパってたりで書くに至りませんでした。
今年はまめに更新したいなと。(私以外の人が書いてもよいのだが…)
再開にあたり、紙谷先生のお話から抜粋させていただこうと思います。昨年、先生宅で見つけた〈レッスンの友〉からです。
~人を魅了する演奏の秘訣「音は動く!」~ を全部書きたいのですが、ちょっと長いので最後の部分を。

【音楽は何処に向かって動くのか】
 音楽には、言葉のように人の心と話をする力がある。音楽のどんな形がどんなことを私たちの心にもたらせるか。そういう言葉遣いのようなことをクラシックやロマン派の作曲家たちはよく勉強して、表現力豊かな音楽を書いたのですから、私たちが演奏する時は、そういう言葉遣いを理解して、人に語るように演奏できなければ、作曲家の心が伝えられないことになります。
 しかも「自分の喋り」を人に聴いてもらうという一方的な姿勢ではなく、人に向かって「音楽の喋り」を分かってもらおう、そして「対話しよう」という姿勢を基本にしたいものだと思います。人の心へ音楽の喋り(単なる音の羅列だけでなく)を送り込む、そうすることによって音楽が動く方向は、聴く人(自分も含めて)の心の中へと向かうのです。
 そういうふうに、音楽によるお喋りを人の心に送り込むことを考えると、逆に音楽によってどんな形で、どんなことを喋るのかを考えるようになり、いわば単語のようなものが見えてくる。これは楽しいものです。初めは誤解もあるでしょうが、色々な曲でこのような見方をしているうちに次第に正しく使える語彙が増えてきて、喋りの豊かな演奏で人の心を動かすことができるようになると思われます。
 私たちはクラシック音楽を高尚なものとし、情緒と結びつけるのは低俗なものだというふうに扱ってきたので、作曲家が用いた修辞法、つまりある情緒を音楽で人の心に伝えるにはどういう形が最も効果的かというノウハウを、常に理論的に扱っています。せっかく音楽が耳から直接心に伝わっても、それを知的理解で納得し直さなければクラシック音楽の真の理解は得られないとする風潮が支配的なように感じます。確かにクラシック音楽は奥深いのですが、人の心に直結した音楽であるはずですから、その結びつき方にある民族的な違いを知って、知的理解を要する壁は取り除きたいものです。