主な活動場所
東京都国立市 中央郵政研修センター

 楽団創立70周年! その6(さかきばら回顧録②)

2020-08-08
 私が入団する以前の話しですが、郵政中央吹奏楽のプロ化の話しがあったそうです。色々な問題を鑑みて反対があり断念したそうですが、入団当時の先輩方の話を聞いていると、まだまだ諦めていなかったみたいで、プロ化されたらオーディションあるのかな?だったら採用されないな…なんて本気で心配していたことを思い出しました。ただ、当時の楽団はプロ化も考えてしまうほど上手かったと思います。(個人の感想です^_^)

 常任指揮者の紙谷一衞(衞は吊)先生は、良く昔の話しをされます。
 先生が就任当時は本省内でランチタイムコンサートを定期的に開催していたのですが、あまりにもの迫力で聴衆は講堂の窓枠付近まで下がり窓を開けて聞いていたそうです。観客を無視した、「これでもか‼️」の演奏がされていたのですね。
 コンクールに対しても、人数が多く迫力ある演奏が評価されている。といつも嘆いていられました。(今は、どの団体も素晴らしい音楽をされていると思います)
 当然、紙谷先生はその様な演奏は🆖。なんとか変えようとするのですが、団員の中には受け入れられない方もいたようで、相当な人数が楽団から去っていきました。
 残ったメンバーにより、紙谷先生の音楽を始めることになるのですが、それは57年経った今でも『郵政の音楽』として後輩に引き継がれています。(中身は伴っているかって?それはちょっと置いておいて^_^💦)

 ここ20年ぐらいのことですが、紙谷先生は、コンクールや演奏会のときに指揮をしながら耳に手を当てる仕草をされます。
 『音程‼️』の合図です。音程が許容範囲を超えてきたら出てくるのですが、合図があるということは、まだ修正可能だということです。諦めると指揮が棒振りになります。(個人の感想)そもそも、最近の団員は楽譜を見るのに一生懸命で気がついていないかも知れませんが…。

 実は、私が入団した頃は、本番でこの様な合図は無かったように記憶してます。日頃の練習から『音』や『和音』に対してはとても厳しい練習が行われていました。そのため、オリジナル曲ではなく、バッハなどのアレンジものを多く取り入れていたのです。
 ある日の練習で、課題曲の冒頭、フルートとオーボエのユニゾンがあり、たった二つの音4拍ぐらいに1時間近く費やしたことがありました。他のパートはただ待つのみ。

 私が入団する前のコンクールで、兼田敏さんの「吹奏楽のためのパッサカリア」を演奏しています。『プロ⁉️』と思えるようなとても素晴らしい演奏です。入団したときのバッハの「プレリュードとフーガニ長調」では、クラリネットがまるでパイプオルガンのようなハーモニーをあの普門館に響かせています。アタックやタンギングによるミスは多少ありましたが、音程のミスはほとんどありません。

 昭和56年に、バンドジャーナルさんが取材に来ています。『練習中オジャマします』です。
 見開きで4ページぐらいあったと思いますが、記事の中で『一度は聴いたほうが良いバンド』として紹介されています。紙谷先生の厳しい練習の成果ですね。
 先輩方がプロ化を目指したのも分かる気がします。

回顧録③に続く…かな?