主な活動場所
東京都国立市 中央郵政研修センター

 創立70周年! その4

2020-06-17
郵政事業と楽団

昭和40年代から50年代にかけて、郵政事業の労使関係は極度に緊迫し、労働組合から官制レクリエーションが否定されたこともあり、楽団もその影響を少なからず受け、一時期じり貧状態ともなりました。しかしながら、紙谷氏の献身的指導の下、労使間の軋轢を超えて楽団の活動は展開されていきました。
更に、昭和50年代中盤以降、産業構造の変化とともに新日鉄などの名門職場吹奏楽団が廃部されていくのを目の当たりにし、紙谷氏の提唱により、郵政事業とともに歩む吹奏楽団づくりが進められ、郵政事業のPRや営業に結び付いた活動の機会が次第に拡大されていきました。(ちなみに、紙谷氏は永年にわたるこれら職員育成への功績等により、平成6年の逓信記念日に郵政大臣から感謝状が授与されました。)
その間、昭和55年6月には郵政省の事情から紙谷氏に対する講師請負契約(このころには、講師嘱託は「技術嘱託」(職員として採用))から「請負契約」へと変更されていた)の打ち切りや飯倉分館の改修工事に伴う「楽堂」(屋上専用練習場)の取り壊しなど、楽団はまさに運営上最も厳しい時代を迎えたが、その後数年間の自主的な郵政事業へのPR活動等の貢献が関係者に評価され、「講師謝礼」として郵政省からの補助の一部が復活されました。

現在は、国立市の郵政研修センターを借りての練習となっています。(飯倉分館、本省、逓信病院等が練習場所となったこともありました。)
会社からのサークル補助費等は無く、団員からの団費徴収のみで活動しています。
昨年、一昨年には、日本郵政グループ女子陸上部の壮行会で、入退場曲や応援曲を披露しました。

会社が変わることや、練習場所が使えなくなったりすることで、廃部の案も出たこともありました。
楽団の運営は厳しい時期ばかり…、そんな中、私財を投じていただいたり、会社側とのかけあいをしていただいたりと、一部の団員からただいなる貢献をしていただいております。