主な活動場所
東京都国立市 中央郵政研修センター

 創立70周年! その3

2020-06-14
紙谷先生の就任

春日氏の後任については、斎藤秀雄門下の指揮者で、当時は東京都中学校吹奏楽連盟の理事長の職にあった村方千之氏に相談したところ、斎藤秀雄指揮教室の助教を務める紙谷一衞氏が紹介され、巽久(元楽団理事長、元東京都職場吹奏楽連盟理事長)、大和田正(元楽団理事長・名誉団員)の両名が自宅を訪ね、「立派な楽団にしてほしいとは申しません。立派な吹奏楽団にするための下地を作りますから、最低10年は指導して下さい。」と指揮者就任を要請しました。
昭和38年10月、紙谷氏が郵政省の技術嘱託として採用され郵政中央吹奏楽団の指揮者に就任すると、翌年6月には早速、新宿厚生年金会館小ホールにおいて一般の方を対象とした第1回演奏会が開催されました。これは、それまでの演奏の機会の多くが郵政部内に限られていたことを考えると極めて大きな転換でありました。
更に、昭和40年には第5回東京都吹奏楽コンクールに出場し、自由曲「キージェ中尉」(プロコフィエフ/紙谷一衞編曲)を演奏し第2位に入賞。翌昭和41年には第1位を獲得し、宮城県民会館で行われた第14回全日本吹奏楽コンクールに出場しました。この時の自由曲も「バレエ組曲 牝鹿」(プーランク/紙谷一衞編曲)を取り上げるなど、既に吹奏楽の枠を超えた取り組みが始められていました。
以降、紙谷氏の数多くの楽団のための編曲作品と指揮による郵政中央吹奏楽団の演奏は、いわば吹奏楽界をリードする先駆的な取り組みとして評価されてきました。
楽団は、東京都吹奏楽コンクールにおいて、昭和42年にも第1位を受賞(第15回全日本吹奏楽コンクールに出場)しています。

紙谷先生の就任から57年となりました。
これまでに演奏会は34回開催(32回・33回・34回は紙谷先生療養中のため、指揮は夏目張安先生)しており、先生の編曲した曲を含め、常に新しいプログラム・音楽との対話が楽しめる演奏会を先生と共に考え続けています。
現在東京都吹奏楽コンクールは、職場の部と一般の部が合同となっておりますが、続けて出場しています。成績については…。しかしながら、紙谷先生編曲のいい曲で郵政らしい「音楽」を吹奏楽界に投じていると思っています。
先生の就任当時は、例えばバッハの曲を始めから終わりまで「バッハをぶっ倒せ!」といわんばかりの強烈な音で迫力に満ちた演奏をし、それが金賞を受賞するといった感じでした。
楽譜通りに正しく演奏するだけ、音符を音にするだけで楽しんでいる幼稚な演奏、「空っぽでナンセンス」な演奏…。未だに日本のコンクールでは続けられています。
また、就任間もなくのコンクールでは、課題曲を日本人の作品にすると決められ、その課題曲があまりにも低レベルであることに抗議してコンクールを2年にわたってボイコットしたそうです。
課題曲、今も日本人の作品ですね…。毎年課題曲を決める際の先生の困った顔を思い出します(笑)