【追悼】
2016-08-04
【追悼】
木津がむしゃらインパルス
初代キャプテン 植田涼平君(享年17歳)
彼の名前を聞いて、今の子供達、保護者及びいつもお世話になっているチーム関係者の方々も知ってる方は少ないと思います。
7月31日、部活に行く通学途中に不慮の事故に遭い重傷を負い、懸命の治療の甲斐なく、17歳という若さで帰らぬ人となってしまいました。
思い起こせば約7年前…
木津がむしゃらインパルスを発足させた時、何も分からない、ルールも分からない、礼儀も教えてもらったことのない幼稚園~六年生の中で、自ら
「僕がキャプテンやります!」
と申し出てくれ、全く分からない、全く勝てない中で、キャプテンとしてこうしなければならない等、厳しく指導しました。
その結果、見事にキャプテンシーに目覚め、びっくりするほどチームをまとめあげてくれました。
「ほんとに1期生のキャプテンか…この子は!」
と驚かされたものです。
メンバーに対しても、キャプテンとして時には優しく、時には叱咤激励する中で、全てのメンバーから信頼されるキャプテンになってくれました。
「監督の言うことは聞かないけど、キャプテンの言うことはみんな素直に聞く」
というくらい、誰からも信頼されるキャプテンでした。
練習の掛け声、挨拶、試合に向ける取組等、まさに今の木津がむしゃらインパルスは彼がいなければここまで来れなかったし、彼が礎を築き上げてくれたと言っても過言ではなく、私にとっても最高のキャプテンでした!
中学校からは吹奏楽部に入部し、3年生では部長に、また生徒会も務めていました。
中学卒業後は名門高校の吹奏楽部の副部長としてさらにリーダーシップを発揮し、部の中心選手として活躍していました!
通勤途中何度か顔を合わせていましたが、その際も、
「みんながんばってますか?
部活ももうすぐ終わるので引退したら見に行きます。
今年の卒団式のBGMは任して下さい!」
等、嬉しいことを言ってくれていました。
ご自宅の方にもお伺いさせていただき、お別れをしてきました。
お通夜、葬儀には現キャプテン、副キャプテン、指導者、OBと共に参列させていただきました。
式場には入りきらないくらいの友人でいっぱいで、きっと中学でも高校でも持ち前のリーダーシップを発揮して皆の信頼を得ていたんだと、彼の人望の厚さに感心しました。
同期の吹奏楽部のメンバーも哀しみの気持ちでいっぱいのまま、見事に彼を送り出す演奏をしていました。
その後の彼等の姿も素晴らしかった。
コンクールも彼の魂と一緒に、きっと素晴らしい結果になると確信しました。
我がチームのプラカードは、彼が卒団する時に、彼が中心となって作ってくれたものです。
最後のお別れの時に、現キャプテン達と共に
「必ずこのプラカードを北九州に掲げるからな!
見といてくれよ!」
と誓いました。
そうすると写真の彼が
「監督、何言ってるん?
僕らと最初にやってた時の気持ち忘れたらあかんよ!」
と言われた気がしました。
そうやな…
その通りやな…
お前の言う通りやな…
また後輩たち見守っといてくれよ!
俺もいつかそっちにいくからな!
その時は、この世で唯一出来なかった、一緒に酒呑もうな!
俺達にとっては、お前がいつまでも…これからも…初代キャプテンなんやから!
安らかに・・・涼平
木津がむしゃらインパルス
初代キャプテン 植田涼平君(享年17歳)
彼の名前を聞いて、今の子供達、保護者及びいつもお世話になっているチーム関係者の方々も知ってる方は少ないと思います。
7月31日、部活に行く通学途中に不慮の事故に遭い重傷を負い、懸命の治療の甲斐なく、17歳という若さで帰らぬ人となってしまいました。
思い起こせば約7年前…
木津がむしゃらインパルスを発足させた時、何も分からない、ルールも分からない、礼儀も教えてもらったことのない幼稚園~六年生の中で、自ら
「僕がキャプテンやります!」
と申し出てくれ、全く分からない、全く勝てない中で、キャプテンとしてこうしなければならない等、厳しく指導しました。
その結果、見事にキャプテンシーに目覚め、びっくりするほどチームをまとめあげてくれました。
「ほんとに1期生のキャプテンか…この子は!」
と驚かされたものです。
メンバーに対しても、キャプテンとして時には優しく、時には叱咤激励する中で、全てのメンバーから信頼されるキャプテンになってくれました。
「監督の言うことは聞かないけど、キャプテンの言うことはみんな素直に聞く」
というくらい、誰からも信頼されるキャプテンでした。
練習の掛け声、挨拶、試合に向ける取組等、まさに今の木津がむしゃらインパルスは彼がいなければここまで来れなかったし、彼が礎を築き上げてくれたと言っても過言ではなく、私にとっても最高のキャプテンでした!
中学校からは吹奏楽部に入部し、3年生では部長に、また生徒会も務めていました。
中学卒業後は名門高校の吹奏楽部の副部長としてさらにリーダーシップを発揮し、部の中心選手として活躍していました!
通勤途中何度か顔を合わせていましたが、その際も、
「みんながんばってますか?
部活ももうすぐ終わるので引退したら見に行きます。
今年の卒団式のBGMは任して下さい!」
等、嬉しいことを言ってくれていました。
ご自宅の方にもお伺いさせていただき、お別れをしてきました。
お通夜、葬儀には現キャプテン、副キャプテン、指導者、OBと共に参列させていただきました。
式場には入りきらないくらいの友人でいっぱいで、きっと中学でも高校でも持ち前のリーダーシップを発揮して皆の信頼を得ていたんだと、彼の人望の厚さに感心しました。
同期の吹奏楽部のメンバーも哀しみの気持ちでいっぱいのまま、見事に彼を送り出す演奏をしていました。
その後の彼等の姿も素晴らしかった。
コンクールも彼の魂と一緒に、きっと素晴らしい結果になると確信しました。
我がチームのプラカードは、彼が卒団する時に、彼が中心となって作ってくれたものです。
最後のお別れの時に、現キャプテン達と共に
「必ずこのプラカードを北九州に掲げるからな!
見といてくれよ!」
と誓いました。
そうすると写真の彼が
「監督、何言ってるん?
僕らと最初にやってた時の気持ち忘れたらあかんよ!」
と言われた気がしました。
そうやな…
その通りやな…
お前の言う通りやな…
また後輩たち見守っといてくれよ!
俺もいつかそっちにいくからな!
その時は、この世で唯一出来なかった、一緒に酒呑もうな!
俺達にとっては、お前がいつまでも…これからも…初代キャプテンなんやから!
安らかに・・・涼平