2016年度洛陽合宿 感想
2016-05-13
合宿への参加は今回が2回目です。
<初日>
朝少し早めに空港に向かいましたが、連休で大混雑。
チケットを買おうと並んでましたら、ぼくの目の前の順番で大げんか。。
もしや乗れない?という危機感をT氏に(セルフチェックインで)
助けてもらい何とか無事飛行機に乗ることができました。
着いてから少し、師娘と塚本先生兄弟子のみなさまと宿泊のベットの
準備をお手伝いさせていただきましたが、本当に親戚のお家について
今夜の寝床の準備をしているようで、親戚家族のように気遣っていただいて
いるな、、とあたたかい気持ちになりました。
何気に練習に没頭させていただきましたが、非常にお気遣いいただいたこと
感謝の気持ちでいっぱいです。
その後大先生のご指導に合流しましたが、また大先生が非常に深い、また
情報量の多いご指導をされていて、やや中国語の内容を理解するのに目が
まわりそうでした。でも以前来た合宿よりも内容が濃く感じたので、
今回の塚本先生拝師の義がどれほどこの会を陳式太極拳を伝える可能性、
その技術を伝える、大先生としても期待をかけていただいている会として
大事にしていただいているというお気持ちが非常に伝わってきました。
その後師範代と合流したり
(なんか以前より血色が良いな、、と感じました、笑)
第二部の練習もまた濃い内容であったり、S氏と大先生が質問や確認と
その理解で話が盛り上がっている状況も非常に楽しそうに感じました。
<二日目>
早朝練習は屋上で。
風が強く落ちたらやばいな、、とか思いつつ、開発の波で周辺が以前の景色と
少しちがうようにも感じながら練習をしました。初日に教えていただいた
幾つかの動きを自分でも試してみました。なんとなくこういうことだった
んじゃないかということが、初日の指導のなかで幾つか重なるところがあり、
動きに深みを加えることができたように思えます。
拝師の義は、子供のころに見た道教の拝礼そのものだったので、うっすらと
残る幼少のころの記憶を少し思い出しました。 陳家溝、王雁一門でも
そうですが、大先生、塚本先生、塚本先生の兄弟子のみなさまの演武と
非常に貴重なものを拝見できる機会に恵まれ、とても勉強になりました。
同門だからこそ大事にしている動き、逆に少し違う動き、、があるわけ
ですが、そのみなさんの動きの違いの原因がなんなのか少し考察して
みました。
これはぼくの勝手な想像?妄想?ですが、
おそらく極めるに終わりの無い技術を学んでいて、そこにそれぞれの、
その時の究めんとするポイントの違い、解釈という言葉ではやや軽い、
思想や世界観のその時究めんとする視点の違いがあるように感じました。
ぼく自身で考えるフィットする言葉で表現すると、この違いは
「それぞれ探求者がもつ陳式太極拳上の哲学の違いであり、それは本人
の成長や修練によって流動している。またそれが哲学的なものである
ならば誰かが正しくて、誰かが間違っているというものではないが、
その深みを知ることでまた自分の未熟さを知り、自分と向き合い、
探求することが大事」
なのではないか、、と感じました。
ふと太極のマークを思い出し、哲学的な思想がある武術の深みを改めて
感じ、またこの技術を生み出した、またそれを伝えて来た人々の凄さを
改めて感じました。
<三日目>
帰途につく日。
やや体もへばってきましたが、お天気に非常に恵まれた合宿だった
ように思えます。「大先生が、今回は楽しかったですか?」というご質問に、
この数日非常にお気遣いいただいた事とそこへの感謝の気持ちでいっぱいに
なりました。塚本先生にものど飴とマスクを買っていただきました。
お心遣いありがとうございました。
幾つかの発見とさらなる深みを少し覗けた非常に有意義な合宿でした。
ありがとうございました。
<初日>
朝少し早めに空港に向かいましたが、連休で大混雑。
チケットを買おうと並んでましたら、ぼくの目の前の順番で大げんか。。
もしや乗れない?という危機感をT氏に(セルフチェックインで)
助けてもらい何とか無事飛行機に乗ることができました。
着いてから少し、師娘と塚本先生兄弟子のみなさまと宿泊のベットの
準備をお手伝いさせていただきましたが、本当に親戚のお家について
今夜の寝床の準備をしているようで、親戚家族のように気遣っていただいて
いるな、、とあたたかい気持ちになりました。
何気に練習に没頭させていただきましたが、非常にお気遣いいただいたこと
感謝の気持ちでいっぱいです。
その後大先生のご指導に合流しましたが、また大先生が非常に深い、また
情報量の多いご指導をされていて、やや中国語の内容を理解するのに目が
まわりそうでした。でも以前来た合宿よりも内容が濃く感じたので、
今回の塚本先生拝師の義がどれほどこの会を陳式太極拳を伝える可能性、
その技術を伝える、大先生としても期待をかけていただいている会として
大事にしていただいているというお気持ちが非常に伝わってきました。
その後師範代と合流したり
(なんか以前より血色が良いな、、と感じました、笑)
第二部の練習もまた濃い内容であったり、S氏と大先生が質問や確認と
その理解で話が盛り上がっている状況も非常に楽しそうに感じました。
<二日目>
早朝練習は屋上で。
風が強く落ちたらやばいな、、とか思いつつ、開発の波で周辺が以前の景色と
少しちがうようにも感じながら練習をしました。初日に教えていただいた
幾つかの動きを自分でも試してみました。なんとなくこういうことだった
んじゃないかということが、初日の指導のなかで幾つか重なるところがあり、
動きに深みを加えることができたように思えます。
拝師の義は、子供のころに見た道教の拝礼そのものだったので、うっすらと
残る幼少のころの記憶を少し思い出しました。 陳家溝、王雁一門でも
そうですが、大先生、塚本先生、塚本先生の兄弟子のみなさまの演武と
非常に貴重なものを拝見できる機会に恵まれ、とても勉強になりました。
同門だからこそ大事にしている動き、逆に少し違う動き、、があるわけ
ですが、そのみなさんの動きの違いの原因がなんなのか少し考察して
みました。
これはぼくの勝手な想像?妄想?ですが、
おそらく極めるに終わりの無い技術を学んでいて、そこにそれぞれの、
その時の究めんとするポイントの違い、解釈という言葉ではやや軽い、
思想や世界観のその時究めんとする視点の違いがあるように感じました。
ぼく自身で考えるフィットする言葉で表現すると、この違いは
「それぞれ探求者がもつ陳式太極拳上の哲学の違いであり、それは本人
の成長や修練によって流動している。またそれが哲学的なものである
ならば誰かが正しくて、誰かが間違っているというものではないが、
その深みを知ることでまた自分の未熟さを知り、自分と向き合い、
探求することが大事」
なのではないか、、と感じました。
ふと太極のマークを思い出し、哲学的な思想がある武術の深みを改めて
感じ、またこの技術を生み出した、またそれを伝えて来た人々の凄さを
改めて感じました。
<三日目>
帰途につく日。
やや体もへばってきましたが、お天気に非常に恵まれた合宿だった
ように思えます。「大先生が、今回は楽しかったですか?」というご質問に、
この数日非常にお気遣いいただいた事とそこへの感謝の気持ちでいっぱいに
なりました。塚本先生にものど飴とマスクを買っていただきました。
お心遣いありがとうございました。
幾つかの発見とさらなる深みを少し覗けた非常に有意義な合宿でした。
ありがとうございました。