武道と武術の違いと言いますか

2015-01-26
皆さま

こんにちは

最近私は武術馬鹿になってはいけません!

と言う発言をします。

(武術こそ最も価値があり、他には目もくれない  という意味)

これはですね、文化と経済(実体社会)は両輪であると言う考えから来ています。

また、更には『文化の中でもカナリ尖がっている』武術はトンガっている分だけ、ややもすると他を否定するほど盲目的になりかねないと言う警鐘でもあります。


世の中には『○○道』と言う形で色々な武道があります。
武道はそもそも、日本発祥でしかも近代『加納治五郎』が発明したと言う説が一般です。

それまではあくまで、各種の体術であり、武術です。

もっとも、『○○流道場』と言う言い方は昔からあったので、そうなるべき素養はあったかと思います。また、

道(哲学)との融合は柳生新陰流を主流として禅学との結びつきが始まりとされます。

と言う事は、そもそも、武術を学ぶにあたって道とするには、哲学を自ら学ばねばなりません。

『塚本、武とは先ず、強くある事。先生は強くある事。道とか哲学、先生に人間性まで求めたらきりがないぞ』

と私の学生時代の空手の師範代が薫陶してくれました。逆にいえば、今でも凄く尊敬しています。人間的にも。

努力の伴う如何なる習い事も、そこに何らかの哲学がある限り、道となり得るでしょう。ただし、それが深いか価値があるかと言う事も存在します。

さて、陳氏太極拳。陰陽思想から始まる道教の発想・黄帝内経による養生と過ごし方の勧め・孫子兵法による戦略と着想・・・・等があります。そしてこれに、中国古来の儒家の思想や道徳観念が薄らと重なっています。

しかし、それを実践していなければ、やっぱり道足りえません。

求める人によって深さが変わる事は確かです。また、高名な先生方の中に、そう言った哲学よりも『強さ重視』の方もいらっしゃいます。

ですので、私達養芯会は まずは養生から。心と身体を鍛えていきましょう。そこから始めましょう。いきなり道では息が詰まってしまいます。鍛える中で見えてくるものから自省が始まると言う軽さでも、私は構わないと思うのです。


太極拳を練習しつつ、他の一流の文化や心に触れてみましょう。それを実生活(仕事や学生であれば勉学)の糧としてみましょう。


何となく、本日思った事をつらつらと書いてみました。


塚本