主な活動場所
西賀茂会館

 野間玄琢 さんて知ってますか? ②

2022-06-15
野間玄琢の師匠の曲直瀬玄朔は慶長13年(1608年)に徳川秀忠の治療を行っており、また、徳川家光が寛永5年(1628年)疱瘡に罹った時の主治医を務めている。
 この時 野間玄琢はその医師団の一員として活躍したことから、寛永13年(1636年)徳川和子(東福門院)(後水尾天皇の中宮)の主治医となり、京都に領地を拝領して今の玄琢の地に居を構えたと伝わっています。 
 この東福門院は秀忠とお江の方の末娘で家光の妹です。
 興味深いのは曲直瀬元朔とその師匠の曲直瀬道三です。NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」で堺正章が演じた医師のモデルが曲直瀬道三であったようです。
 曲直瀬道三は、名だたる戦国武将たちの診療記録を残しており、ドラマ以上の活躍をしていたようです。
 また、玄朔は幼くして両親をなくし母親の兄の曲直瀬道三に育てられたとあるが、斎藤道三が亡くなった時 玄朔は5歳位であり、斎藤道三の晩年の子供2人(濃姫の異母弟)が京都のお寺に預けられたことと何か関係があったのかも・・・・。
 次は、明治維新後の野間家の領地について書いてみようと思います。