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 不動智神妙録を読んで

2024-12-30
「不動智神妙録」は、沢庵が柳生但馬守に向かって、剣禅一如を説いたものです。日本兵法の歴史に残る巨人へのものなので、これを読むには、技術的にも精神的にも途方もない高さであることが前提のはずです。私のような未熟な者では、十分な理解をするにはおぼつか無いとはとは思いますが、私なりに本書から気付きや発見が得られました。それは、兵術家としてだけではなく、政治家、多くの家来を使う主人、あるいは人間としての柳生の生き方を説いているからかも知れません。本書の中でも特に強く、記憶に残ったものを次に示します。
 無明住地煩悩という教えがあります。明らかでないところには迷いが生じ、物事に心が止まってしまうという戒めです。心が止まる、即ちとらわれる心が迷いとなるというものです。相手の動きにどのように対応しようかなどの思慮分別を持たずに、心を止めず相手の刀に応じれば、相手を切ることができると説いています。逆に心を止めてしまうと、こちらの動きが疎かになり、相手に切られてしまうのです。
試合などで経験することがある、無心の一本が、これに近いのかもしれません。自分でも何をしたかよく分からずに、勝ちを得たことのある方も多いことと思います。何をしてくるのか分からない相手と自分との間で、迷うことなく心を止めなかったことが、思いもよらぬ早い技を生んだのかもしれません。
 しかし、対戦相手を前にして、無心になることは極めて難しいでしょう。心にある物を無くしてしまおうという心が、また心の中にある物となり、無心とはなかなかならないのです。これには、無明住地煩悩をよく理解した上で、これに近付くように修行を重ねることが大切ではないかと思います。
 諸仏不動智という教えがあります。心は四方八方自由に動きながらも、一つの事物には決してとらわれないというものです。何かに心がとらわれると、いろいろな感情や考えが湧き起こり、あれこれ思い煩い心を自由に動かすことができなくなるのです。たとえば、一本の木を見る時、一枚の葉をじっと見つめれば、残りの葉は目に入りません。木の全体を見ることによって、初めてたくさんの葉が全部目に入るのです。
 長い年月の間、教えに従い稽古を積んでいけば、身を自由に働かせる技術が得られるようになると思います。こうした修行によって、無心無念になりきることができようになり、不動智を自分のものにすることができる、と本書では説いています。無心になる理の修行と技術的な事の修行は、車の両輪のようなものなのです。私も師の教えに従い、基本に忠実に地道な稽古を続けることで、意識せずとも正しい構えや身のこなしができるように、今後も精進していきたいと思います。
 剣道のあるべき姿の基本的な考え方として、「剣道の理念」が制定されています。それには、剣道を剣の理法の修練による人間形成の道としています。本書は剣を説き、剣に生きる姿勢を説くなかで、人が人として生きる道、まさに人間形成の道が述べられていると思いました。

2024年2月社会体育指導員剣道上級のレポートから