詩篇101
2025-04-14

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデの歌です。
「わたしはいつくしみと公義について歌います。主よ、わたしはあなたにむかって歌います。」(1節)
ダビデは琴の名手でもありましたから、琴を弾いて歌ったことでしょう。
「わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。」(2節)
神の道は完全です。ダビデは神の取り決めに心を止めたのでしょう。そして神が自分のところに来てくださることを願います。ダビデは正直に、ダビデの家の継続することを表明します。
「わたしは目の前に卑しい事を置きません。わたしはそむく者の行いを憎みます。それはわたしに付きまといません。」(3節)
ダビデは自分の行動を神の基準に合わせようとしたのでしょう。ダビデの歩みは卑しいことはせず、神に背くものを憎んだのでしょう。
「ひがんだ心はわたしを離れるでしょう。わたしは悪い事を知りません。」(4節)
ダビデは僻みの気持ちは持たずに、悪に対して無知でいたようです。
「ひそかに、その隣り人をそしる者を/わたしは滅ぼします。高ぶる目と高慢な心の人を耐え忍ぶ事はできません。」(5節)
隣人をそしる人はダビデの周りにいたのかもしれません。人間はどうしてもひがみやそしりの気持ちをもつことがあるものです。ダビデはそのような気持ちになる者を滅ぼすと言っています。自分を実際以上に高ぶったり、高慢になる人がいますが、ダビデはそのような人のそばに居たくなかったのでしょう。
「わたしは国のうちの忠信な者に好意を寄せ、わたしと共に住まわせます。全き道を歩む者はわたしに仕えるでしょう。」(6節)
ダビデは王でしたから、配下の者が忠節であれば、共に住まわせたいと思うのは当然でしょう。道徳的に全き道を歩む者であれば、ダビデ王に仕えることができます。これは将来のイエス・キリストが王になって地上に来られる場面でも成就することでしょう。
「欺くことをする者は/わが家のうちに住むことができません。偽りを言う者はわが目の前に立つことができません。」(7節)
欺く者や偽る者が、神聖な家に住むことはできません。
「わたしは朝ごとに国の悪しき者を/ことごとく滅ぼし、不義を行う者をことごとく主の都から断ち除きます。」(8節)
ダビデ王は、毎朝、悪しき者、不義な者をことごとく除き去るのです。これも将来イエス・キリストが地上に再臨したときになされるのでしょう。