詩篇100
2025-04-10

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
感謝の供え物のための歌です。
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。」(1節)
全地の人々がヤハウェ神に向かって喜びの声をあげることを言います。
「喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。」(2節)
感謝の供え物をもって神に仕える時、喜び歌いたくなるのでしょう。
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」(3節)
この表現は詩篇に何回も出てきます。ヤハウェ神が創造主であることを再確認しています。世の中には神と称する沢山の名前があります。特に日本は自然にあるものは何でも神にしてしまいます。多分自然の偉大さと半面、自然災害を経験して太陽を天照大神としたり、山の神や海の神の怒りと納得していたようです。
実際にヤハウェ神は自然を創った方であり、他の神々は人が想像したものです。ここに大きな違いがあるのです。日本人が考える神と西洋人が考える神と根本的に違いもあります。
日本人は偉人が死ぬと神にしてしまうのです。西洋人の多くは絶対神がお一方だけです。
古事記によると造化三神による創造の業が示されています。神は初めからいたようですが最初に示されたのが天之御中主神となっています。そして高御産巣日神、神産巣日神で三柱となっています。これは、キリスト教で、父と子と精霊の三位一体に似ています。
「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。」(4節)
これはエルサレム神殿がかつてあった時のようです。神殿には多くの門があり、イスラエルの民はその大庭に入って崇拝したのでしょう。
「主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。」(5節)
この表現も何度か出てきます。ヤハウェ神は恵み深い方です。慈しみをもって人々に接してきました。そしてその真実の愛を何世代にも続けてくださるのです。
このように、聖書に書かれている神はヤハウェという名前をお持ちで、永遠に人々を愛して行動してくださいます。自然の恵みもすべて真の神が用意してくださったのです。
一方、日本の神々はどうみても人間に近く、伊邪那岐、伊邪那美の神が日本を創造して人を創ったことになっています。その後に天照大御神が生まれます。須佐之男命にしても大国主命にしても、とても人間的な行動です。どうも天皇家に続く家系が神から続いていることを権威付けしたかったのでしょう。
それで、日本人が神と考えるお方は偉い人に近く、西洋人の神とはかなり違います。
それでも自然が偶然に生まれることはなく、どなたかが設計したはずです。