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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇95

2025-04-03

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。」(1節)
我々に神へ賛美の歌を歌うことを勧めています。
「主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。」(3節)
讃美歌を歌う理由は、ヤハウェ神が、全ての神々に勝っていて大王でもあるからです。
「地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。海は主のもの、主はこれを造られた。またそのみ手はかわいた地を造られた。」(4,5節)
地球の深い地底から高い山の頂上まで、全て神のものです。海も陸も神が創造しました。
「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。」(6節)
この当時、人々はひれ伏して跪いて創造主を拝んだのでしょう。
「主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」(7節)
ヤハウェ神が我々の神であり、神は牧者のように人々を導きます。その御声に従うことが求められています。
「あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。」(8節)
モーセがイスラエルの民を率いて出エジプト後、神に従わない人々は荒野を40年間さまよいました。
「あの時、あなたがたの先祖たちは/わたしのわざを見たにもかかわらず、わたしを試み、わたしをためした。」(9節)
神の大いなる御業を見ていたにも関わらず、神を試したのはイスラエルの民の過ちでした。
「わたしは四十年の間、その代をきらって言った、『彼らは心の誤っている民であって、わたしの道を知らない』と。」(10節)
それで、神は誤っている世代が亡くなる40年間をイスラエルの民に課したのです。神の道を知ろうとしない人々は約束の地に入れませんでした。
「それゆえ、わたしは憤って、彼らはわが安息に入ることができないと誓った。」(11節)
約束の地は安息の地でもありました。モーセも約束の地に入れませんでした。入れたのはヨシュアとカレブくらいだったようです。(ヨシュア記15章)
95篇は、神に従うことの大切さを示しています。特に7節にあるように神は牧者で、我々は羊です。羊のように従順に牧者に従うこと。そして、今日、神の御声に従うことです。神の御声は聖書にふんだんに書かれています。毎日、聖書を読んで神の御声を聞くようにしたいものです。