詩篇25
2024-11-26

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの詩とされています。
「主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。わが神よ、わたしはあなたに信頼します。どうか、わたしをはずかしめず、わたしの敵を勝ち誇らせないでください。」(1,2節)
ヤハウェ神に信仰しているので、敵に勝たせないで欲しいと願います。負ければ敵から恥ずかしめを受けるからです。
「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。」(4節)
神は人々に歩むべき道を知らせてくださいます。神から見て正しい行いの道です。
「あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えてください。あなたはわが救の神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。」(5節)
神は真実な方です。嘘偽りがありません。神からの救いを一日中待ち望みます。
「主よ、あなたのあわれみと、いつくしみとを/思い出してください。これはいにしえから絶えることがなかったのです。」(6節)
神の憐れみと慈しみは、遠い過去から絶えることがなかったことを歌います。
「わたしの若き時の罪と、とがとを/思い出さないでください。主よ、あなたの恵みのゆえに、あなたのいつくしみにしたがって、わたしを思い出してください。」(7節)
私もそうですが、若いときは多くの過ちを犯します。恥ずかしい失敗もします。そのような罪咎を思い出さないで欲しいと願います。
「主よ、み名のために、わたしの罪をおゆるしください。わたしの罪は大きいのです。」(11節)
ダビデはかつて大きな罪を犯したことがありました。美しい人妻を得るために、その夫を戦地で死ぬようにしたのです。これは大きな罪といえるでしょう。それでも真剣に悔い改めれば神は許してくださるのです。(サムエル第二11章)
「わたしの目は常に主に向かっている。主はわたしの足を網から取り出されるからである。」(15節)
罪の網に足を捕らわれていても、ダビデは神様を常に仰ぎ見ていたのでしょう。その信仰によって神は捕らわれた足を網から外してくださるのでしょう。
「どうか、誠実と潔白とが、わたしを守ってくれるように。わたしはあなたを待ち望んでいます。」(21節)
ダビデは罪を犯しても反省し、過ちを認めました。そして神に真剣に叫ぶようにして祈ったのでしょう。それによって、大きな罪といえどもダビデが誠実で潔よい態度が認められたと思います。すぐに許されたわけではなく、待ち望んでいるので、しばらく反省の時間が必要だったのでしょう。我々も日々過ちを犯してしまいます。自分では氣付かない罪もあると思います。ダビデのように謙虚に祈りたいものです。