詩篇23
2024-11-22
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
このダビデの詩は多くの人が共感するものかもしれません。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」(1節)
ここで、神と自分との関係を羊飼いと羊になぞらえているようです。愛の神ですから、乏しいような状態にはしません。
「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。」(2節)
牧場は牧草が生えていて食べ物があり、水際で飲み水にも困りません。安心できるのです。
「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」(3節)
死んだように感じていた魂を生き返らせてくれます。神はご自身の名前であるヤハウェ(彼は成らせるの意味)のとおりに人々に正しい生き方ができるようにしてくれます。
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」(4節)
急な渓谷であれば谷底に転落する危険があります。そのような道を歩んでいるように思えても詩篇作者は恐れません。なぜなら神が同行してくれているからです。羊飼いは羊が危ない方向に行こうとすると鞭や杖を使うかもしれません。それは谷底に落ちないためにするのであって、痛めつけるためのものではありません。
「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。」(5節)
敵対する者がいたとしても、まずは腹ごしらえです。頭に油を注ぐのはキリストの意味もありますが、ここでは客をもてなす意味のようです。かつてイエス・キリストがパリサイ人に招かれたときに「あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。」(ルカ7:46)と言っています。香油を頭につけてもらえば、よい香りを楽しめたのでしょう。杯には十分な量の葡萄酒を用意してくださいます。
「わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。」(6節)
神様がこのようにもてなしてくださるので、一生神の恵みと慈しみを感じていられるでしょう。そして神が用意している新天新地では、神の幕屋が地上に降りてくることになっていて、そこで人々は永遠に楽しむことができることになっています。
本当にすばらしい世界が神によって約束されています。
そのことが実際に起きるのは、もしかしたら明日かもしれないのです。いつ起こるか分かりませんが、近づいていることだけは確かなのです。
「この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、『悔い改めよ、天国は近づいた』。」(マタイ4:17)とあるとおりです。そして「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」(ヘブル10:36)ということでしょう。