詩篇22
2024-11-21
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
この詩篇はイエス・キリストの言葉と預言の成就に関連しています。
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。」(1節)
これは「そして三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マルコ15:34)とあるように詩篇22編をイエスは唱えていたのです。
詩篇22編の最初は確かに神への苦しい訴えですが、最後は神への賛美になっています。つまり詩篇22編の最初の言葉を言うことで、イエスは神への賛美を伝えようとしたのです。
「『彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ』と。」(8節)
これは「『彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから』。」(マタイ27:43)と言った当時の祭司長や律法学者や長老の言葉として成就しました。
「多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。」(12,13節)
ここではバシャン地方の雄牛として強く吠える獅子のような言葉として示されています。「祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、」(マタイ27:41)とあるとおり、ひどい罵りの言葉を言ったようです。
「主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。」(23節)
詩篇作者は神を畏れ、褒め称えることを子孫にも命じます。
「国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。」(28節)
すべての統治権は神にあります。ヤハウェ神は一時的にしか、人が国を治めることを許可していません。
「そこでピラトはイエスに言った、『それでは、あなたは王なのだな』。イエスは答えられた、『あなたの言うとおり、わたしは王である。』」(ヨハネ18:37)とあるようにイエスは天の王国の王であることを証ます。
「子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を/後に生れる民にのべ伝えるでしょう。」(30,31節)
詩篇作者は神様の救いについて子々孫々述べ伝えられることを預言します。確かに聖書の詩篇は多くの人々の共感を得ています。それによって詩篇の言葉が現実に成就したことも歴史が示しています。そして、聖書の言葉は将来に起きることを預言しています。詩篇22編28節の「主はもろもろの国民を統べ治められます。」は将来起きる事柄だと思います。神の命じにより、イエス・キリストが王としてすべての国を治めるのでしょう。