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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇18

2024-11-16

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
この詩の前文は、「聖歌隊の指揮者によってうたわせた主のしもべダビデの歌、すなわち主がもろもろのあだの手とサウルの手から救い出された日にダビデはこの歌の言葉を主にむかって述べて言った」とありますが、これはサムエル第二22章1節の文と同じです。そして詩の内容もほとんど同じです。
「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」(詩篇18:2)
「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救の角、/わが高きやぐら、わが避け所、/わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。」(サムエル第二22:2,3節)
ダビデが神の救いを実感して歌ったのでしょう。全編に渡って神の賛美の言葉で満ちています。
「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。」(詩篇18:25,26)
「忠実な者には、あなたは忠実な者となり、/欠けた所のない人には、/あなたは欠けた所のない者となり、清い者には、あなたは清い者となり、/まがった者には、かたいぢな者となられる。」(サムエル第二22:26,27)
神様の返報性が表されています。慈しみ、忠実、清さ、完全さ、そのように努力する者に神はそのようにして接してくださるのです。反対にひがんだり曲がった者には、神もひがみ片意地になるのです。
「まことに、わたしはあなたによって敵軍を打ち破り、わが神によって城壁をとび越えることができます。」(詩篇18:29)
「まことに、あなたによって/わたしは敵軍をふみ滅ぼし、/わが神によって石がきをとび越えることができる。」(サムエル第二22:30)
ダビデは敵を打ち破れたのは神のおかげだと理解していました。
「この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。」(詩篇18:30)
「この神こそ、その道は非のうちどころなく、/主の約束は真実である。彼はすべて彼に寄り頼む者の盾である。」(サムエル第二22:31)
神の道は完全で非の打ちどころはありません。ヤハウェ神の言葉は真実でその約束を違えることもありません。神に寄り頼めば、大きな盾となって守ってくれるのです。
「このゆえに主よ、わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。」(詩篇18:49)ダビデが神の御名を褒め称えるのも納得できます。