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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇17

2024-11-15

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これはダビデの祈りとされています。
「主よ、正しい訴えを聞き、わたしの叫びにみ心をとめ、偽りのないくちびるから出るわたしの祈に/耳を傾けてください。どうかわたしについての宣告がみ前から出て、あなたの目が公平をみられるように。」(1,2節)
ダビデは神様に祈ります。叫びとなった正直な訴えを聞いてほしいと願います。神からの宣告があるなら、公平なものであるように言うのです。
「あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、わたしを試みられても、わたしのうちに/なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。わたしの口も罪を犯しません。わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。」(3,5節)
詩篇作者は神の試みに対して、悪行は見つけられず、誤った道に行くこともなかったことを証ます。夜とありますが、これは神からの光を受けていない状態を指しているかもしれません。これはイエス・キリストのことでしょう。サタンの誘惑にも勝利し、罪を犯すこともありませんでした。「神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。」(ヨハネ第一3:9)とあるように、イエスは神から生まれ、罪を犯すことがありません。
「寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわし、ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください。」(7~9節)
神は力強い右手で救います。それは神の慈しみによるもので、瞳と同じように守られるのです。敵から守るために神の大きな翼で隠してくれるのです。
「彼らはわたしを追いつめ、わたしを囲み、わたしを地に投げ倒さんと、その目をそそぎます。彼らはかき裂かんと、いらだつししのごとく、隠れた所にひそみ待つ子じしのようです。」(11,12節)
敵は私を追い詰め、囲い、投げ倒そうとします。若いライオンが獲物を搔き裂こうとするかのようにです。
「主よ、み手をもって人々からわたしをお救いください。すなわち自分の分け前をこの世で受け、あなたの宝をもってその腹を満たされる/世の人々からわたしをお救いください。彼らは多くの子に飽き足り、その富を幼な子に残すのです。」(14節)
敵は世の宝物を自分のものにして、その富を自分の子供に残すのです。
「しかしわたしは義にあって、み顔を見、目ざめる時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。」(15節)
詩篇作者は謙虚です。神の正義により、神の御顔を見、目覚めると御形を見ることで満足します。それは、神様に近づけるということが、神の義にそった生き方をしている証拠になるからです。神に近づけるのは何と素晴らしいことでしょう。