詩篇16
2024-11-14
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの詩のようです。
「神よ、わたしをお守りください。わたしはあなたに寄り頼みます。わたしは主に言う、『あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸はない』と。」(1,2節)
ダビデにとって神様は主でもあるわけです。その神はダビデを守ることができます。それで主人に寄り頼むように神に寄り頼むのです。すべての幸福は神からもたらされることを知っているので、断言することができたのでしょう。
「地にある聖徒は、すべてわたしの喜ぶすぐれた人々である。おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない。」(3,4節)
神により頼む者は、共に喜ぶことのできる勝った人々です。ヤハウェ神以外の神に、血の捧げものをしたり、異教の神の名前を唱えることもしません。古代ではモレク信仰があったようで、そこでは子供を生贄として捧げていたようです。愛の神はそのようなことを許しません。(レビ記20:2)
「主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。」(5節)
神への信仰こそが自分が行うべき仕事であると言っています。そして杯は神からの契約です。そこには人が受け取れる産物があるのです。
「測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。」(6節)
測り縄は土地の分配に使われていました。その土地から食物を得ることができたでしょう。その土地の産物で生活を続けることができたのでしょう。
「あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。」(10節)
これはイエス・キリストに成就しました。イエスは磔の刑から墓に葬られましたが、3日目に神はイエスを蘇らせました。聖霊となって生き返ったイエスは二度と死ぬことはありません。このことを1世紀のペテロは使徒行伝2章27節で「あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、/あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならない/であろう。」と詩篇16篇を引用しました。
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」(11節)
真の命を神様は示してくださいます。神の前には喜びが溢れるほどあります。そして神の力によって、永遠に多くの喜びがもたらされます。これは新天新地が到来するときに成就するのでしょう。思い描くとわくわくしますね。