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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇15

2024-11-13

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの詩のようです。
「主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。」(1節)
幕屋は当時、神様の神殿とされていました。テントだったのです。聖なる山はシオンと呼ばれていて神殿のある場所で高地にありました。エルサレムの都市は神殿を中心にして町作りをしていました。実在の神ですから、いろいろな方法で人間と接点を持とうとしていたと思われます。ダビデはそうした神と一緒に住みたいと思っていたのでしょう。
「直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしりを取りあげず、」(2,3節)
正直で正義を貫き、話すことは真実しかありません。他人をそしるような行為を一切行わず、友人に悪行をはたらくこともありません。隣人に対するそしりがあっても、それに同調することもありません。裏表がないというか、二心がないというか、神の前では嘘は通らないことを知っているので、隠し事をしないということでしょう。清廉潔白であれば、神の前でもたじろぐことはないでしょう。
「その目は神に捨てられた者を卑しめ、主を恐れる者を尊び、誓った事は自分の損害になっても変えることなく、」(4節)
神に捨てられた者というのは、神を畏れず不遜な行為を止めない者のことでしょう。対比しているのが主を恐れる者なので、神様に畏敬の念で近づく者を尊びます。かつては神に誓いをすることがありました。ダビデもそうだったのです。
「ダビデはガデに言った、『わたしはひじょうに悩んでいますが、主のあわれみは大きいゆえ、われわれを主の手に陥らせてください。わたしを人の手には陥らせないでください』。」(サムエル記第二24:14)とあるように、ダビデは神との約束を願い出ました。その約束はダビデにとっても苦しいものでしたが、約束は変えられないのです。約束を誓ったのであればたとえ不利でも、そのように行動しなければ真実な者とはみなされないでしょう。
「利息をとって金銭を貸すことなく、まいないを取って/罪のない者の不利をはかることをしない人である。これらの事を行う者は/とこしえに動かされることはない。」(5節)
当時は利息を取ることは禁じられていました。賄賂を取ることもせず、罪なき人を不利な立場にしません。そのような人であれば、神は守ってくださるので不動の立場を維持できるのでしょう。
簡単に言えば、誠実に正直に生きるということです。つまり隣人に対して愛情をもって接することができるということでしょう。隣人を愛せないのであれば、神を愛することもできないと思います。「現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。」(ヨハネ第一4:20)とあるとおりです。