詩篇14
2024-11-12
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの詩ですが、対比的に歌っています。
「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。」(1節)
ここで、「神はいない」と心で思うものは愚か者だと言っています。その者は心が腐っているようで、神から見て憎むべきことを行い、善いことを行うことがないとしています。
「主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者が/あるかないかを見られた。彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。」(2,3
節)
ヤハウェ神は天から人々を見て、賢い者がいないかどうか調べます。神は神を訪ね求める者こそ賢い者と見ています。人々は皆、彷徨い心も腐った状態です。善を行う人は一人もいないと神は判断します。神様は人々が幸せに暮らして欲しいと願っています。そのためには創造主である神に尋ねることが必要です。そのように熱意をもってたずね求める人がいないと神はみました。神の基準は高いものですから、人間にはとうてい不可能ということだと思います。だからこそ、神に近づくには謙虚に「どうぞ教えてください」という態度でいないといけないでしょう。
「すべて悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。」(4節)
悪人は悟ることがないようです。悟ることがあれば、神に呼び掛けたり、イスラエル国民を飲み込むようなことはしなかったでしょう。ここで、「わが民」としてイスラエル国民を区別していますが、これは選民しただけであって、えこひいきではありません。以前にも書いたようにイスラエル人が優れているので神が選んだのではなく、アブラハム、イサク、ヤコブと続く家系で神が約束した契約を守られているだけです。神から選ばれた民族と選ばれなかった民族でどのように違いが現れるか、歴史に証明してもらうためです。
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、/『救う者がシオンからきて、/ヤコブから不信心を追い払うであろう。』」(ローマ11:26)
これはパウロがローマ人に書いた手紙ですが、詩篇14篇を引用しています。
「どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。主がその民の繁栄を回復されるとき、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。」(7節)
シオンはエルサレムの別名です。イスラエル人は救世主であるイエス・キリストによって救われることを預言し、1世紀に成就したことをパウロは認めています。
実際にイエス・キリストはイスラエル人へ救いの手だてを証し、イスラエル民族に福音を伝えました。その後使徒達が、世界中にこの福音を伝えました。こうして全世界で福音を聞くことができるようにしたのです。