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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇10

2024-11-06

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
世の中では悪人がのさばっていることがあります。力のある者が無力な人々を虐げることがあります。このような不条理に聖書はなんと書いていますか?
「主よ、なにゆえ遠く離れて/立たれるのですか。なにゆえ悩みの時に身を隠されるのですか。悪しき者は高ぶって貧しい者を激しく責めます。どうぞ彼らがその企てたはかりごとに/みずから捕えられますように。」(1,2節)
ダビデは悪人の悪しき企てが、自分たちを捕らえることになることを願います。
「悪しき者は自分の心の願いを誇り、むさぼる者は主をのろい、かつ捨てる。」(3節)
悪人は利己的で自己中心的です。暴虐を行う者は神を疎ましく思い捨て去るのです。
「その思いに、すべて『神はない』という。」(4節)
悪人は無神論者です。神はいないというのが彼らの主張です。ですからしたいことをしてやりたいことをする。道徳心というものがなくなっているのです。
「隠れ場にひそむししのように、ひそかに待ち伏せする。彼は貧しい者を捕えようと待ち伏せし、貧しい者を網にひきいれて捕える。寄るべなき者は彼の力によって/打ちくじかれ、衰え、倒れる。」(9,10節)
悪人は常に無力な人々を捕らえて打ち砕き、衰え倒します。
「彼は心のうちに言う、『神は忘れた、神はその顔を隠した、神は絶えて見ることはなかろう』」(11節)
悪人は自らを欺いて、神は処罰を忘れ、顔をそむけているから見ることはないと主張します。
「主よ、立ちあがってください。神よ、み手をあげてください。苦しむ者を忘れないでください。」(12節)
神は悪人の暴虐を見過ごすことはありません。ヤハウェ神は行動します。苦しむ者を忘れることもありません。ここでいう悪人は神から離れた人のことでしょう。
「主よ、あなたは柔和な者の願いを聞き、その心を強くし、耳を傾けて、みなしごと、しえたげられる者とのために/さばきを行われます。地に属する人は再び人を脅かすことはないでしょう。」(17,18節)
ヤハウェ神は物柔らかな人の願いを聞きます。孤児や暴虐を受けた人々の声を聞きます。そして最終的に悪に裁きを行います。悪の原因がなくなれば、人々は地上で恐れを感じることなく穏やかに平和に暮らせるでしょう。
神様の気持ちは、人々がエデンの園で暮らしていたように、不安なく安全な地上で楽しく暮らすことです。それが実現するまで、多くの時間と検証が必要だったようです。現代は多くの人々が「神は死んだ」と主張しています。本当にそうでしょうか?神の存在が分からないのであれば、「分からせてださい」と祈ってみてはどうでしょうか?