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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇9

2024-11-05

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの歌です。
「わたしは心をつくして主に感謝し、あなたのくすしきみわざを/ことごとく宣べ伝えます。」(1節)
神様の御業は驚くべきものです。天と地を創られたのも神様です。食物と動物と人間を創られたのも神様です。人々が地上での生活を楽しめるのも神様のおかげです。ダビデが神に感謝し、その手の業を全て伝えたいと思うのも納得できます。
「敵は絶えはてて、とこしえに滅び、あなたが滅ぼされたもろもろの町は/その記憶さえ消えうせました。」(6節)
ここでいう、敵がサタンのことであるなら、これはまだ成就していないことになります。ダビデは戦士でしたから、多くの町で戦いました。その勝利はすべて神の業で行えたと理解していたのでしょう。その町々は神にとって忌むべき事を行っていたので滅ぼされたのかもしれません。「あなたが行ってその地を獲るのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。この国々の民が悪いから、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。」(申命記9:5)これはモーセの言葉ですが、ダビデも理解していたでしょう。自分たちが正しいので町を滅ぼしたのではなく、神から見てその民が悪いので滅ぼしたのです。
「主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます。」(8節)
これも、過去から将来に渡って成就する言葉だと思います。神の正義によって世界は裁かれることになっています。黙示録の預言が成就するわけです。この裁きは公正なものとなることは間違いないでしょう。
「主よ、わたしをあわれんでください。死の門からわたしを引きあげられる主よ、あだする者のわたしを悩ますのを/みそなわしてください。そうすれば、わたしはあなたのすべての誉を述べ、シオンの娘の門で、あなたの救を喜ぶことができましょう。」(13,14節)
ダビデは死の淵から救われて、聖なる都で喜ぶことを願っています。
「主よ、彼らに恐れを起させ、もろもろの国民に/自分がただ、人であることを知らせてください。」(20節)
神に対して畏敬の念を持たない民はみじめな裁きを受けるかもしれません。そうならないうちに、神を知らないような民が、自分は人間であって神に勝るものではないことを理解しないといけないでしょう。
神の裁きは、いつ起こるのか誰にも分かりません。近づいていることだけは確かです。ですから、真の神を知り、その保護の下にいることが大切です。神の下では、人々は愛情に満ち溢れ、平和で、安全で、平等で、真実な状態でいることができるのです。
今こそ、神の保護下に入りましょう。