詩篇6
2024-10-30
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によって琴をもって合わせたダビデの歌です。
「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。」(2,3節)どのような状況でこの歌をつくったのか分かりませんが、王であるダビデが弱り衰え苦しんでいます。骨が苦しみ魂も悩み苦しんでいるようです。神から叱責を受けた時かもしれません。そうであれば、悩み苦しみ、体も心も弱ることでしょう。ダビデは神のお怒りがいつまで続くのか問いかけています。
「主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。」(4節)神の怒りの前にダビデは命がなくなる思いでした。神の慈しみで助けを欲しています。多分、当時は苦しい胸の内を振り絞るようにして歌ったことでしょう。
「死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたを/ほめたたえることができましょうか。」(5節)死ぬと神を意識することはなく、墓に入れば誰も神を賛美できません。ダビデは命を長らえて、その後は神を褒め称えることを決意したのでしょう。ですから、神にこの弱った状態からの救出をお願いしているのです。
「わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだのゆえに弱くなった。」(7節)憂いがあると身体機能も低下するかもしれません。視力が低下することもあるでしょう。心身はお互いに関連しあっています。苦しい時は眠れなかったり食欲がなくなったりします。それで身体まで弱ることがあります。ダビデはこのような状態になっていたのでしょう。敵対する者がいれば、心痛もあったのでしょう。
「すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる。」(8,9節)ダビデは泣きながら神に祈ったのでしょう。「わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。」(6節)毎夜、ベッドで泣くので寝具が濡れるまでになったようです。その後、神が願いを聞いて、祈りを受け入れてくださることをダビデは確信しました。神は神に真摯に頼るものを突き放したりしないのです。
「わたしの敵は恥じて、いたく悩み苦しみ、彼らは退いて、たちどころに恥をうけるであろう。」(10節)敵対者は退き恥を受けるようになることを、ダビデは信じました。
誰にでも苦しい状況が訪れることがあります。それは我々の心と身体を蝕みます。そのような時にこそ、神に頼り祈ることをダビデは教えています。命の危険を感じるほどのことは、何度も訪れるものではないかもしれません。もし、そのような事が起きたときはダビデと同じように、泣きながら神に祈ることが必要かもしれません。