詩篇5
2024-10-25
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
5篇は笛に合わせて歌わせたダビデの歌です。「主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。」(1節)王であるダビデは嘆くことがあって、神に聞いてもらい心に留めてもらいたいと願います。「わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています。」(2節)イスラエル国民の王であるダビデも、神様の前では神こそ自分の王であり、自分は僕であることを理解していました。そして叫ぶほどの声で祈っていたようです。
「主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのために/いけにえを備えて待ち望みます。」ユダヤ人の1日は太陰暦で夜が一日の始まりです。それでも人々の活動は朝から始まるので、朝神からの返答を待ち望んだのでしょう。そのために王はいけにえを備えることをしていました。神様がダビデの声を聞かれることを信じていたからです。
「わたしはあなたの豊かないつくしみによって、あなたの家に入り、聖なる宮にむかって、かしこみ伏し拝みます。」(7節)ダビデは神の豊かな慈しみを知っていました。ですから神殿に入り、聖所に向かい伏し拝んだのでしょう。当時の神殿はまだ幕屋、つまりテントでした。それでもそのテントは神が指示したとおりに作られたものでした。見栄えは粗末な状態だったかもしれませんが、至聖所に聖櫃があり、そこには3種の神器が収められていました。神様の道具は金、銀、銅が使われていました。(出エジプト記25~27章)
「わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください。彼らの口には真実がなく、彼らの心には滅びがあり、そののどは開いた墓、その舌はへつらいを言うのです。」(8,9節)ダビデ王には周辺にも内部にも敵がいたようです。それでも自分の義ではなく、神の義によって導いてほしいと願います。曲がりくねった道ではなく、まっすぐに神の義に至る道を願います。ダビデは、敵を丸のみにしようとする者に感じられたのかもしれません。そして、その話すことは欺瞞的だったのでしょう。イエス・キリストも当時の宗教指導者に対して「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」(マタイ15:14)「あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。」(マタイ23:27)同じように滅びをもたらす者として糾弾しています。
「主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。」(12節)戦士にとって盾は重要です。盾によって敵の攻撃を防ぐことができるからです。ダビデは盾の重要性を知っていたので、神様も正しい者を守るときに大盾のように守り、神の恵みをもって守られます。
まさに、神は我々の真の避難所です。