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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇4

2024-10-22

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によって琴に合わせたダビデの歌です。「わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。」(1節)
ダビデは王でしたが、自分の正義について神が助けて守られることを自覚していました。そして悩んで祈るときに、答えてくつろがせてくれます。そのように神の前では、王であっても自分が哀れな状態であるので、その訴えを聞いてもらいたいと願ったのです。この時代ですが、ダビデ自身も琴を奏でました。(サムエル第一19:9)それで、ダビデは楽器を奏でながら賛美の詩を歌ったと思います。
「あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」(4節)感情的になって怒ると、大きな罪を犯すことになりかねません。道路であおり運転をして殺人までしてしまう人がいるのです。もし怒ることがあっても、一度冷静になって静かに自分の心と向き合えば、そんなに怒るほどのことではないと自覚するでしょう。殺人は極端な例ですが、毎日腹立たしいことが起きても、座って周りの状態を客観的に考えれば怒る必要はないと思うかもしれません。短気は損気です。
「多くの人は言う、『どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光を/わたしたちの上に照されるように』と。」(6節)ダビデはモーセの律法を理解してその価値を認めていたはずです。それでも当時は近隣の国との戦争が絶えずありました。ですから、誰もが神からの助けを希望していました。光を創造されたのも神様です。光がなければ何も見えません。闇の世界では世の美しい光景を見ることができません。ダビデは神が光輝く方であることを知っています。ですから、その光であらゆる良い事柄が見られるように、そして理解できるように願っていました。
「あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びに/まさるものでした。」(7節)ダビデは、物質的な穀物やぶどう酒を食べたり飲んだりする喜びよりも、神様から与えられる心の喜びが勝っていると知りました。
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」心が穏やかな状態であれば、安心して眠ることができます。そのような心の平安を与えてくださるのは神様以外にいないというのです。
国々が戦闘状態になっているときには、どうしても緊張した状態になります。王様だけでなく国民も不安定な感情になってしまいます。正常な判断ができなくなる可能性もあります。そのような時にも、神に祈り、自分の心をさらけ出して、「どうぞ助けてください!」と言えば、神様は必ず答えてくれます。それこそ「床の上で静かに」祈れば、「大丈夫!安らかであれ。」という声が聞こえるかもしれません。
神を知らないと、このような平安は得られないでしょう。