詩篇3
2024-10-21
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
3篇はダビデ王が息子のアブサロムから逃れた時の歌です。「主よ、わたしに敵する者のいかに多いことでしょう。わたしに逆らって立つ者が多く、『彼には神の助けがない』と、わたしについて言う者が多いのです。」(1,2節)この時ダビデ王は息子から王位を取られそうになって逃げ出したのです。「アヒトペルはアブサロムに言った、『私に一万二千の人を選び出させてください。わたしは立って、今夜ダビデのあとを追い、彼が疲れて手が弱くなっているところを襲って、彼をあわてさせましょう。』」(サムエル第二17:1,2)アヒトペルはアブサロムの顧問官でした。ダビデを追撃して亡き者にしようと進言します。しかし、ダビデはその事を聞いて「アヒトペルの助言が愚かなものと見なされるようにしてください!」と願います。(サムエル第二15:31)ですから、ダビデは命の危険があったのです。しかも自分の息子に狙われていたのです。
「わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。わたしを囲んで立ち構える/ちよろずの民をもわたしは恐れない。」(5,6節)ダビデは困難な状況であって、何万人に囲まれても恐れません。神様がダビデを支えてくれると信頼しているからです。ですから夜もぐっすり眠り、朝目を覚ますことができるのです。流石に歴戦のダビデ王です。肝が据わっているということでしょう。
「救は主のものです。どうかあなたの祝福が/あなたの民の上にありますように。」(8節)
ダビデはかつて、巨人ゴリアテと戦ったことがあります。その頃は10代の若者だったでしょう。相手は3M近い巨人です。鎧の重さだけで60Kgほどありました。そんな敵に対してダビデは石投げ器で戦いに勝つのです。ダビデは「主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう。」(サムエル第一17:37)と言ってペリシテ人のゴリアテに対して神が救い出してくれると信じていました。かつて石投げ器でライオンや熊を撃って殺したことを思い出していました。その時も神様が救い出してくれたと思っていたのでしょう。ですから相手が恐ろしくても何万人に囲まれて窮地に陥っても、ダビデは冷静な気持ちでいたようです。
今日、このような戦争状態が起きることはないと思いますか?では、ウクライナやイスラエル周辺で戦闘状態になっているのはどうしてでしょう。偶然に戦争が起きることはありません。何かしらの企てがあるから戦争になるのです。戦争回避や休戦のための仲介は誰がするのでしょうか?国連は何の打開策も出していません。何の力もないようです。現在も詩篇2篇にあった、「もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。」という預言の言葉が成就しているようだと思いませんか?
詩篇は確かに歌なのですが、こうしてみると預言の書でもあるのかな、と思います。聖書は色々な立場の人が記したのですが、やはり筆者は神様です。そうでなければ、このように預言を歌にして残すことは人間には不可能でしょう。