詩篇1
2024-10-15
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」(1節)悪事を企んだり、犯罪を起こしたり、あざける人々と交わることは不幸を招くだけです。そうした思考や行いや交流は不幸になります。一切関わらないことが幸福になります。
「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」(2節)神様の掟を喜び、日夜思い起こすようにすれば幸福になります。
「このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」(3節)流れのほとりであれば樹木は枯れることがありません。そして、時期が来れば果実を結びます。生き生きとした樹木が育つように、神の掟を喜ぶ人は繁栄を享受できるということです。
「悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。」(4節)もみ殻は中身がないので風が吹けば飛ばされてしまいます。そのように悪人が恒久的に栄えることはないのです。
「それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。」(5節)悪人がいつまでも裁かれずにいることはできません。必ず裁かれてその報いを受けるのです。罪人は、いつまでも正しい人たちの集まりに居ることができません。自ずと罪を習わしにしているので、正しい人の集まりから排除されるでしょう。ここでの罪人は罪を悔い改めようとしない人のことを言っているようです。人類は原罪というものを持って生まれて来るので、全ての人は罪人です。でも、悔い改めて正しい事を行いたいと決心している人は神からみて正しいと認められるはずです。何度でも罪深いことをしてしまうのが人間ですが、不完全なわけでから日々反省することになるのでしょう。
かつてヨブという神から忠実で正直だと言われた人がいました。ヨブは自分が知らずに犯してしまう罪についても、神に捧げものをして悪から離れていました。そのようなヨブも環境が変われば罪を犯すこともあるのです。それで、我々はいつでも神に対して罪を犯していないか自問することが必要かもしれません。現在、人は不完全な状態ですから、神に祈って「罪を犯さないようにしてください」と言えるかもしれません。
「主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。」(6節)神様は正しい人の行動をよく知っています。それに対して報いも用意しています。「祈りが聞かれた」と実感する経験をお持ちの方もいるでしょう。神様は必ず正しい者を幸せにするようにしてくれます。ただ、時期や方法は神様だけが知っているのでお任せするしかありません。悪人はいずれ滅びます。ですから正義感をもって行動するのも良いのですが、いずれ神様が裁いてくださることを確信していれば、悪人に対しても感情的にならずに済むかもしれません。感情的になっても問題が解決するわけではありません。むしろ神様に裁きを委ねれば、心穏やかにいれるように思います。これから詩篇を1篇ずつ考えます。