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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 黙示録24

2024-10-11

「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」とあります。歴史は未来を語ります。
新天新地の様子を使徒ヨハネは見ます。「水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」(22:1,2)とあるので、命の木から食物を毎月得られて、命の水も飲むことができます。木の葉は癒しの作用があるようです。
御使は「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」(22:6,7)と言います。この預言の書を信じて守るものは幸福になるのです。
さらに「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。」(22:10)と御使は言います。預言の書の解読は中々難しいのですが、祈りつつ理解しようとすればできないことではありません。色々な解釈があることは知っています。現在の理解で一番間違いがないと思われる解釈をしてきました。時が近づいているのは間違いないでしょう。
「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。」「~わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」(22:12~16)と、イエス・キリストご自身がヨハネに語ります。
すると、「御霊も花嫁も共に言った、『来りませ』。また、聞く者も『来りませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。」(22:17)と、新天新地の到来の益である命の水を受けることが示されます。
誰もが待ち望んでいた世界がついに成し遂げられました。聖霊も天の144000人も地上の人々も「来てください!」と言うでしょう。
最後に預言の書の取り扱いについて「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」(22:18,19)とあるように聖なる書物は書き加えることも、取り除くこともできないのです。
そして、これは使徒ヨハネの最後の言葉でしょう。「『アァメン、主イエスよ、きたりませ。』主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。」(22:20,21)
これまで、黙示録のすべての言葉を考えてきました。死者の復活はイザヤ書にもあります。「あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる。ちりに伏す者よ、さめて喜びうたえ。」(イザヤ26:19)ですから、死者にも希望があり、生者にも希望があるのが聖書なのです。