黙示録7
2024-09-06
「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」とあります。歴史は未来を語ります。
ヨハネは別の幻を見ます。大きな患難が始まろうとしているようです。
「わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。」(1節)とあるように幻は地上の事柄になります。これは、地上での患難時代の始まりを食い止めている御使が4人いるようです。黙示録6章にあった天変地異を防いでいるようです。それというのも「『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない』」。(3節)と別の御使が説明をしています。
これは、クリスチャンが御使から額に印を押されるまで時間を要するためです。その人数は「印をおされた者は十四万四千人であった。」(6節)とあるので144000人のようです。
この後の説明でイスラエル民族の各部族が12部族あり、1部族から12000人が印を押されるようです。これは4章で見た長老を指しているのかもしれません。そこは24人の氏族長がいましたが、天で12000人が二つに分かれて仕えるのかもしれません。いずれにしても人数的に144000人は天で神様に仕えるのでしょう。
その後の幻で「わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、声で叫んで言った、『救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる』」。(9節)とあります。数えきれないほどの大勢の群衆ということで、これらの人々は地上で神様とイエス・キリストから救いを得るようです。
つまり、天では144000人の長老が霊者となって、イエス・キリストと共に王として祭司として神様に仕え、地上では数えきれない大勢の群衆が神様を賛美するようです。
それというのは、「『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう』」。(14~17節)と御使が話すからです。
天に蘇るのであれば、大きな患難は経験しないでしょう。地上にいる人々で、イエス・キリストに信仰を表明していれば、大きな患難を過ぎ越すことができるようです。そして神様は彼らの上に天幕を張って共に住んでくれるそうです。そして命の泉に導いてくれるということは、最初の人間夫婦が経験していた永遠の命をもたらせて下さるのでしょう。そして悲しみに起因する涙を流すことはなくなりそうです。
この状態は、将来の新しい天と新しい地の様子を描いているようです。確かに天に王や祭司がいるなら、その恩恵に預かる大勢の人々が地上にいる必要がありますね。