黙示録3
2024-09-02
「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」とあります。歴史は未来を語ります。
イエス・キリストは次にサルデスの会衆に「あなたは生きているというのは名だけで、実は死んでいる」(1節)と強烈な言葉で始まります。「サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。」(4節)と少ない人数ですが生きている業を行い、イエス・キリストの犠牲に感謝している者がいることを伝えます。そして「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。」(5節)イエス・キリストのように世に勝利した者は命の書に書かれて消されないことを保証します。
フィラデルフィアの会衆には「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。」(10節)と述べています。サタンの影響や偽り者がいたようですが、この人々は忍耐したようです。そしてイエス・キリストの名を否定しませんでした。それで、全世界に臨む試練から防ぎ、最終的に勝利を得て「わたしの神の聖所における柱にしよう。」(12節)と約束されます。
最後の会衆はラオデキヤです。「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。」(15,16節)とあるように、この会衆の業は生ぬるかったようです。それで「あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。」(18節)と勧めます。富は霊的な意味です。金は試された信仰でしょう。白い衣はイエス・キリストの犠牲の死に対する信仰だと思います。黙示録7章14節で「その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」とあるからです。子羊は死に至るまで従順であったイエス・キリストを表していますから、子羊の血は、その人類の罪の贖いの対価を表します。その血に信仰を働かせることで罪が清められ、衣を白くすることができるのでしょう。目に塗る目薬はラオデキヤ地方の特産物だったそうで、霊的な目を開くように言っていると思います。そして金や衣や目薬を買うように言っていますが、これらは神の真理なので無料です。でもその事実について対価が存在することを知ってもらいたかったので「買う」という言葉を使ったのだと思います。
これで、7つの会衆への言葉が述べられました。聖書研究家は、教会の歴史を預言したものと解釈する人もいます。7つの会衆は7つの時代ということです。そのような解釈もできなくはないと思いますが、素直にすべてのクリスチャンのエクレシア(会衆)に充てて送られたイエス・キリストからの手紙と解釈したほうが良いと考えます。