主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 黙示録2

2024-08-30

「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」とあります。歴史は未来を語ります。
いよいよイエス・キリストは7つの会衆に言葉を述べます。はじめはエペソ会衆です。労苦と忍耐を褒めたのちに「あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。」と4,5節に裁きを伝えます。愛によって会衆は一体になることを、かつてパウロも言っていました。
「悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」(10節)はスミルナ会衆に述べています。当時も偽りの罪状で獄に入れられ死罪になったクリスチャンがいたようです。でも、忠実であれば命が与えられます。
「あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。」(15,16節)はペルガモ会衆に宛てています。ニコライ宗はバラムの教えで不品行や偶像崇拝をすすめていたようです。クリスチャンにはふさわしくない教えなので、悔い改めないとイエス・キリストご自身が真理の言葉で戦うと言っています。
テアテラ会衆には「あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。」(20節)と述べます。イゼベルは「士師記」の時代に神に逆らって異教の教えを持ち込んだ王妃です。不品行と偶像に捧げられたものを食べていたようです。
これもパウロが再三クリスチャンに注意を呼び掛けていました。不品行は性的な事柄ではなく異教の教えを指していたかもしれません。
このように、イエス・キリストは当時の会衆に的確な状況判断と改善策を伝えています。これは現代にも通じるように思います。というのは、「耳のある者は、御霊が諸会衆に言うことを聞くがよい」と会衆に伝えていて、どこのいつの時代の会衆でも自分のことかもしれないと反省できるようにしているからです。
現在のキリスト教の教会等において、自分が所属しているグループの状態がどのようなものか見定める必要があるようです。特にグループを監督している人たちは自分のグループの状態に目ざとくあるべきでしょう。今日では、寛容なことが良いことのように宣伝されて、不品行や不正や偽りの教えが蔓延していないでしょうか?偶像にしてもマリヤ像や十字架を対象にしていないでしょうか?
1世紀当時の会衆は個人の家に集まったりしていました。もちろん偶像はありません。きっと熱心に神に祈り、霊の力によって異言や預言や幻を語っていたように思います。そしてパウロのように福音を遠方の人にも伝えようと努力していたのでしょう。