真理98
2024-08-20
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ヨハネの第1の手紙」の次は「第2の手紙」と「第3の手紙」です。どちらも1章しかない短い聖典です。「第2」は女性とその子供に宛てて書いています。「第3」はガイオに宛てています。どちらの手紙も最後が「直接はなし合いたい」と結んでいて、同一筆者とわかります。「第1」と同時期に書かれたようです。その後の「黙示録」も同時期でしょう。1世紀の終わりごろでヨハネは高齢になっていました。それでヨハネは自分のことを「長老」という言葉を使っています。
「第2」は「父なる神」と書いていて「父から受けた戒めどおりに、真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。」(第2の4節)と感想を述べています。
そして、「初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。」(第2の5節)と書いて、戒めはお互いに愛し合うことであり、初めからの戒めだと言っています。
さらに、「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。」(第2の7節)と書いて、反キリストはイエス・キリストの降臨を認めない者のようです。
「第3」は「兄弟たちがきて、あなたが真理に生きていることを、あかししてくれたので、ひじょうに喜んでいる。」とガイオに伝えています。ガイオという名前は当時ありふれた名前のようで、他の聖書に書かれているガイオと同一人物なのか違うのかわかりません。多分違う人物と思われます。ヨハネは1世紀末まで生きていたので、多分自分がイエス・キリストの目撃証人として最後であることを自覚していたと思われます。そして「反キリスト」が現れていることを危惧していました。それで、「第2」でも「第3」でも真理に沿って生きることの大切さが分かるようにしたのだと思います。
ヨハネはイエス・キリストから愛されました。イエス・キリストに出会った時は10代だったかもしれません。それでも1世紀末には高齢となり最終的にパトモス島に島流しにあっています。
キリスト教は、まだ公認されておらず、異教の教えのように扱われていたのです。さらにキリスト教の信者の中から「反キリスト」もいたようですから、教団としての確立は不十分だったと思われます。
それでも、クリスチャン達は、聖書を何とか残そうとして必死になって写本を書いていたのでしょう。ですから、2000年後の今日でも1世紀当時のクリスチャンの活動がわかるのです。そして古代の遺跡の発掘によって色々なことが分かるようになりました。2,3世紀の文献もあるので、聖書を復元できているように思います。大切なものは文字で残すのが確実なのですが、当時と今では違うものも沢山あります。それで、聖書を読むときは、当時の風習とか風土とか制度とかも参考にしながら読むと良いでしょう。